最近読んだ本302

『哲学嫌い:ポストモダンのインチキ』、小谷野敦著、秀和システム、2019年。

わたしが尊敬する小谷野氏(1962年生まれ)の新著です。

哲学はどのような学問であるのか、どのような学問であるべきなのかを、文学・文化論・宗教・道徳・物理学といった他の学問類と対比させつつ考察した、高尚で、しかも分りやすい評論でした。

かくのごとき本を書くのは広範な学識や教養をおもちでないと無理であり、そして小谷野氏はそれらを十二分に身につけておられると感じます。

どの章も興味深かったのですが、とりわけ精神分析をあつかった箇所が圧巻でした。

精神分析の創始者はジクムント・フロイトである。しかし精神分析は科学に必要な証明を欠いていた。カール・ポパーはフロイトを批判して、このような説明ならいくらでもできるとした。(pp.130)

全体的に、精神分析やユングは今のアカデミズムの精神医学や心理学では認められておらず、一部の文学研究者がもてあそぼうとしているだけである。(pp.136)

精神分析という怪しい学説を一刀両断に斬り捨てていらっしゃいます。

わたしは氏のご主張に膝を打ちました。

引用したなかの「科学に必要な証明を欠いていた」の部分をすこしだけ補足すると、ものごとが科学であるためには、

(1)対象を「観察」する

(2)観察に基づき、ある「仮説」を立てる

(3)その仮説を「検証」する

こうした手続きが必要です。

シグムンド・フロイド(1856~1939)は、既述の流れにおいて、(1)観察、(2)仮説、までは進んだものの、(3)の検証は怠りました。

だから、彼の主張は個人の信念に過ぎない、科学的ではない、と見なされるわけです。

学術領域で個人の信念は何の価値もありません。

つぎに、書中、著者のご指摘を受け、わたしが「あっ、なるほど」と蒙を啓かれた文章がありました。

科学哲学者カール・ライムント・ポパー(1902~1994)に関して記されたところです。

ポパーの言うことは基本的に自然科学、特に物理学についての話であって、社会科学や人文学には適用できないのではないかと思うようになった。帰納法がダメではどうしようもない。それでは生物学も怪しい。(pp.165)

ポパーは、

『科学的発見の論理』、恒星社厚生閣(1971年)

を著し「反証可能性」を論じました。

反証可能性とは、仮説と検証データとが一致したときに必ずしも「仮説は正しい」と言えないいっぽう、仮説が検証データと一致しなかったときには「仮説は正しくない」と言える、つまり反証がなされる、このような考えかたを土台にした、学問上の規範です。

わたしは長らく反証可能性の意義を信奉してきましたが、左記がおもに「自然科学、特に物理学」に当てはまる約束ごとである、という偏り・限界には気づけていませんでした。

実際、社会科学のほうでは相異なる理論が混在している状況がめずらしくないみたいですし……。

ともかく『哲学嫌い』は、たいへん勉強になる読物でした。

小谷野氏の作品からは、毎度、知的な刺激をいただくことができます。

金原俊輔

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