最近読んだ本541:『満映秘史:栄華、崩壊、中国映画草創』、石井妙子、岸富美子 共著、角川新書、2022年
満映とは「満洲映画協会の略称(pp.95)」です。
むかし日本が中国で強引に建国した満洲国(現在、遼寧省・吉林省・黒竜江省の3省)にありました。
甘粕正彦(1891~1945)が理事長だった会社として有名。
甘粕は、1923年(大正12年)、帝国陸軍の憲兵時代に「甘粕事件」を起こした人物です。
さて、本書の著者・岸氏(1920~2019)は、ご実家が母子家庭で貧しかったため、幼いころから映画界で裏方の仕事を請け負い、お金をもらって、家計を助けました。
1939年(昭和14年)、兄の誘いで大陸へ渡り、満映に入社されます。
彼女が19歳のときでした。
そのころの満映は「東洋一の広さを誇る大撮影所(pp.106)」「機材は質、量ともに他に類例がなく、まさに東洋一(pp.195)」だったとのことです。
ここで編集者さらに技師として真摯に勤務し、たまに甘粕理事長を見かけたりなさっていました。
しかし、1945年(昭和20年)、日本が戦争に敗北。
岸氏および家族はお考えがあって日本へは引き揚げず、中国内にとどまったところ、共産党政府の判断で「精簡(pp.227)」と呼ばれる一種の強制労働刑の対象になりました。
以降、過労・飢え・病気・貧困に長期間さいなまれつつも懸命に生き抜き、ようやくご一家で母国へ帰ってきたのは敗戦の8年後、1953年(昭和28年)です。
『満映秘史』は、共著者・石井氏(1969年生まれ)が「岸富美子の書いた手記を参考にした上で、インタビューを重ね(pp.373)」たもの。
濃密な書物であり、わけても精簡の体験談が圧巻でした。
精簡は、かの国の文化大革命における「下放」に近く、わたしは下放については幾つかの書籍をとおし若干の知識を所持していて、書籍のうちでは、
ユン・チアン 著『ワイルド・スワン』、講談社(1993年)
が、印象にのこっています。
過去も現在も、世界各地で、そんな辛酸をなめている方々が大勢いらっしゃると思うと、ゾッとせざるを得ません……。
これより、全体的に重いノンフィクションである『満映秘史』のページから、とくに重たい話題をひとつ選び、記載します。
戦後の一時期、岸氏は長春の旧・満映撮影所で編集業務に携わられ、伊琳氏という中国人監督がつくった作品『保衛勝利的果実』を観る機会をもちました。
「日中戦争の最中、日本軍が小さな村を占領した際の出来事をテーマに(pp.313)」した映画で「日本軍が家を焼きつくし、奪いつくし、中国人を殺しつくした(pp.313)」話。
岸氏は伊琳監督に、
「日本軍がこんなにひどいことをしたとは、とうてい思えません……」
すると監督は、しばらく黙っていたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「岸さん、実は、これは私が実際に体験したことなのです。留守中、日本軍が入ったと聞き、慌てて村に戻ると全滅していたのです。私の親兄妹も全員が日本軍によって、虐殺されていました」(中略)
私は戦前の教育を受け、日本軍は皇軍だと言われて育った。皇軍が、こんなにもひどい虐殺行為を中国の村人たちに対して行ったとは、どうしても信じられなかった。
だが、この撮影所には記録映画やニュース画像もたくさんあり、私は、真実を見つめたいという思いから、そういったものにも目を通した。中には実際に虐殺現場を撮影した記録フィルムがあり、私はそれらを目にして、もはや認めないわけにはいかなくなった。(中略)心の混乱は続いた。
そんな私に伊琳監督はある日、言った。「私は日本人を恨んではいません。私は軍国主義を許せないだけです。(後略)」(pp.313)
日本軍が大陸でおこなった非道な所業、被害をこうむった側なのに崇高な世界観を述べられた人物、わたしのなかで言葉に尽くせない謝罪の念と深甚なる敬意とが交錯しました。
金原俊輔