最近読んだ本506:『娼婦の本棚』、鈴木涼美 著、中公新書ラクレ、2022年

1997年、わたしがアメリカ留学を終え、帰国して購入した最初の本は、

鈴木晶 著『フロイト以後』、講談社現代新書(1992年)

でした。

鈴木晶氏(1952年生まれ)は同書の出版時、法政大学助教授。

自分の研究分野とあまり関連がなかったため、読了後、いつしか『フロイト以後』は書棚の奥に埋もれてしまい、わたしは読んだことすら忘れていました。

今回の『娼婦の本棚』ですが、著者・鈴木涼美氏(1983年生まれ)は、なんと鈴木晶氏のお嬢様なのだそうです。

25年を隔て、わたしは親子がお書きになった2冊をひもといたわけです。

鈴木涼美氏とは……?

華やかな経歴の女性で、慶應義塾大学を卒業、東京大学大学院に進み、修士課程を修了なさいました。

日本経済新聞社にご就職した由です。

いっぽう、「娼婦(pp.64)」「AV女優(pp.77)」「キャバクラ(pp.93)」の経験もおもちでいらっしゃいます。

SMビデオの撮影で宙吊りにされて水をぶっかけられたり、その後に生乾きの髪のまま既婚者の何かの選手と待ち合わせしたりしていた(後略)。(pp.220)

そんな紆余曲折を経たのち、現在は「本を書く仕事をするようになりました(pp.15)」とのこと。

彼女はずっと「本を読む娼婦(pp.253)」で、読書の蓄積に基づき「アドレッセンスというものの中を突き進んでいく若いオンナノコたち(pp.17)」に向けて『娼婦の本棚』を執筆されました。

私が私の青春を生き抜くために貪った本の中から、特に印象的なものを選び、私が付箋を貼っていたような痺れる一文をなるべくたくさん紹介しています。(pp.17)

山田詠美、斎藤美奈子、ミヒャエル・エンデ、宮崎駿といった、たしかに「若いオンナノコ」が読みそうな作家たちが語られていた反面、ジャン・コクトー、ルーキアーノス、内田百閒、鷲田清一など、「ふつう10代・20代の女性は読まないだろう」と思われる顔ぶれも含まれていました。

ずいぶん読書範囲が広いかたです。

登場作品や登場人物らにたいする細密な読み解きを試みておられ、脳が刺激される快感をおぼえる内容でした。

CAになった友人がかつてその制服に並々ならぬ愛着とプライドを持っていたように、あるいは女子高生が着くずしながらも制服を手放さないように、強烈なレッテルはひとまず自分に輪郭を与えてくれる(後略)。(pp.201)

17歳の時も19歳の時も30歳の時も、私は一人のワタシという人間であって、それは連続運動としてずっと地続きにある、というのも一つの考え方ですが、私にはどうも、若い女の時間というのは人生というものからもう少し自立して切り離された、特殊なものであるようにも思えます。(pp.211)

女性の視点から、高学歴者の視点から、夜の世界または裏の世界を知悉した人物の視点から、読者をうならせる新奇・特異なお考えを提示なさいます。

勉強になりました。

なお、本書では、

「少女神~」に登場するオンナノコたちの多くは、何かしら人と違った環境にいたり、特別な痛みを持っていたりします。母親が自ら命を絶ってしまったり、父がいなくて二人のママと一緒に暮らしていたり、いじめられていたり、ゴミ溜めみたいな街や美しいものが何もない場所に住んでいたり、父親がガンだったり、大好きなボーイフレンドが本当は男の子が好きなんだと分かったり、父が死んだ後は母と母がその夜に連れてくる恋人と暮らしていたり。(pp.36)

「~たり、~たり、~たり……」みたいに畳み込むような書きかたが頻出し、やや、煩(わずら)わしさを感じます。

その種の表現は中盤姿を消したので、著者ご自身がお気づきになったか、もしくは編集者の助言があったのかもしれません。

金原俊輔