最近読んだ本505:『時代の反逆者たち』、保阪正康 著、ちくま文庫、2022年

学識豊かな保阪氏(1939年生まれ)による、歴史上の人物を対象とした評論集です。

それぞれの時代に自らの主張や見解が時代と折り合いがつかない場合、人はどのような態度をとるか、あるいはいかなる行動に出るか、それを反逆者、あるいは時代への異議申し立てと見て、検証してみようというのが本書の狙いである。(pp.294)

こうした執筆動機のもと「江戸時代から昭和期までの十人の先達(pp.11)」をお選びになって解説なさいました。

解説されたのは、

大石内蔵助(1659~1703)

大塩平八郎(1793~1837)

高野長英(1804~1850)

佐久間象山(1811~1864)

西郷隆盛(1827~1877)

田代英助(1834~1885)

田中正造(1841~1913)

宮崎滔天(1871~1922)

出口王仁三郎(1871~1948)

石原莞爾(1889~1949)

以上の面々。

名をのこした「反逆者」が多かったのですが、わたしは田代英助を存じませんでした。

弱者救済のため立ち上がった大塩平八郎と田中正造については、かねてから淡く尊敬しており、本書の情報に接したおかげで尊敬は確固たるものとなりました。

両者が所持していた資質を当方は全然もっていないので、尊敬というよりも畏敬と表現するのが適切かもしれません。

ただし、「資質がない」などと卑下して済む軽い問題ではなく、保阪氏は「田中正造の抵抗精神の核」章で、

田中は己れを捨て、救民のためにその生涯を使い、そして自らは官位栄達を求めることなく、ほとんど野垂れ死にの状態だった(後略)。
このような人物をどのていど歴史の中にかかえこんでいるかで、それぞれの国の歴史の重さが違う。(pp.105)

個人的には反省を迫られ、国家的には「日本は結構『かかえこんで』いるんじゃないか?」と頼もしさをおぼえる、含蓄に富む文章をお書きになっています。

読み終えて書物を閉じるとき、感化を受けた自分に気づく、そんな効力を有する作品でした。

ところで「道義を貫いた革命家・宮崎滔天」章。

滔天が至誠の賢哲だったこと、陰になり日向になり中国人・孫文(1866~1925)を支えたことは、よく知られています。

滔天の死を知った孫文は「日本の同志よ……」と題するきわめて情感あふれる電報を打ってきた。真の反逆者を、真の友人は決して忘れないというのである。(pp.71)

わたしは孫文を信用に値する政治家だったとは思っておらず、関係する日本人たちを利用した策士に過ぎない、このように見ています。

孫文が本邦へ亡命してきた折に体を張って匿(かくま)った頭山満(1855~1944)や、孫文支援で巨財を投じた梅屋庄吉(1868~1934)も、利用された顔ぶれ。

もし管見が正しい場合、宮崎滔天は誤った相手に誠意を尽くしてしまった、と言えるのではないでしょうか。

金原俊輔