最近読んだ本527:『この国の戦争:太平洋戦争をどう読むか』、奥泉光、加藤陽子 共著、河出新書、2022年

作家の奥泉氏(1956年生まれ)そして歴史学者でいらっしゃる加藤氏(1960年生まれ)が、太平洋戦争および戦争前後の日本の政治状況について対談なさった、学術的かつ重厚な本です。

わたしはこれを読みつつ、教養というものに思いをはせました。

奥泉氏も加藤氏も博識でいらしたのですが、奥泉氏が本職のかたを相手にここまで議論をおできになるのを見て「非常に豊かな教養をおもち」と感銘を受けたのです。

いっぽう「日本近現代史の研究者である(pp.7)」加藤氏が戦争がらみの事柄を隅々までご存じなのは当然であり、この場合は「専門知識をしっかりおもち」と表現すべき様態でしょう。

自分自身に置き換えてみれば、わたしは専攻する行動主義心理学に関しては一定程度くわしい反面、それ以外の領域で、研鑽を積んだ学者と突っ込んで話し合える奥泉氏みたいな力は所持していません。

おのれの乏しい教養が改めて恥ずかしくなりましたし、同時に、奥泉氏のご勉強ぶりに敬服いたしました。

さて、奥泉氏・加藤氏の対話の中で印象にのこった箇所はおびただしく、以下、そのうちのひとつを紹介します。

奥泉:  流通する物語をたえず批判していかないと悲惨を招く可能性が高いとつくづく思います。そこに歴史を学ぶことのいちばんの意義がある。
加藤:  ただ、歴史家として常に迷うのは、「本当はこうであった」という事実の指摘や「歴史に学ぶ必要がある」という教訓に導くやり方では、人は動かない。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』における当時の国際関係の描き方に問題があるとして、この点が史実とは違うと正確に指摘することは本当に大切だと思うのですが、相手は一つの作品として物語の世界を提示してきているわけですね。ロマンを含む物語が完成形で提示された。その中の不正確さを論ずることの意味について、私はやはり限界を感じています。(pp.59)

小説を書く人が小説という表現手段に内在する問題点を述べ、学者がそれはやむを得ず学問の情報発信も影響力は十全でないと認める……、どちらも率直、謙虚、お見事なやりとりでした。

つづいて、書中、わたしにとって蒙を啓(ひら)かれる情報も多々ありました。

一件を選んで引用します。

おふたりは大日本帝国の「南進論と三国同盟(pp.134)」について意見交換をなさり、

加藤:  南方地域の植民地の宗主国は、フランス、イギリス、オランダである。これらの宗主国と対抗できるのは、ドイツである。だからドイツと同盟を結び、1939年9月から始まっていた第二次世界大戦がドイツの完勝で終わらないうちに、大戦の分け前をドイツに対して主張しておこうという考えでした。(後略)
奥泉:  評判の悪い三国同盟ですが、つまり簡単に言ってしまうと、南方のフランスやオランダの植民地をドイツからスムーズに分けてもらうためにはこの同盟が絶対に必要だと。そういう論理ですね。(pp.136)

「わが国は、近づいてくる対アメリカ戦を念頭に、味方を増やすべくドイツ・イタリアと手を結んだ」、当方、漠然とこう理解していましたから、ご両所にそれとは違う視点を説示していただき、参考になりました。

『この国の戦争』は、わたしが歴史に暗いせいで容易に理解できない記述ばかりだったものの、既読した書籍がたまたま複数語られた第3章「太平洋戦争を『読む』」のみ、楽にページを繰ることができました。

金原俊輔