最近読んだ本532:『バカの災厄:頭が悪いとはどういうことか』、池田清彦 著、宝島社新書、2022年

生物学者・池田氏(1947年生まれ)。

山梨大学および早稲田大学の名誉教授でいらっしゃいます。

わたしは、

池田清彦 著『科学とオカルト』、講談社学術文庫(2007年)

池田清彦 著『世間のカラクリ』、新潮文庫(2016年)

などを読み、氏を存じあげておりました。

現代社会にて見られるバカな言動を抽出し、生物学の視点を交えながら考察をおこなったものが、本書『バカの災厄』。

著者がいうバカとは、

「自分は絶対に正しい」という思い込みに取り憑(つ)かれた人(後略)。(pp.8)

のことです。

こうした「『バカ』が引き起こす災厄は増えるばかりで(pp.4)」、たとえば「ロシアがウクライナに侵攻してから(pp.84)」、

日本国内のロシア料理店などに嫌がらせをしたり、ロシアとのビジネスを行っている日本企業をネットやSNSで攻撃したりする(後略)。(pp.85)

といった愚挙がつづきました。

池田氏のお考えでは、バカの発生は日本の教育における「バカの大量生産システム(pp.161)」が原因で、

自分自身の頭で考えて情報を精査するとか、多様な視点から物事を見ていくといった、将来の日本を背負って立つべき人材が育ち難くなったのだ。(pp.172)

人材輩出に悪影響した証左は何かといえば、

それは「日本はコロナワクチンをつくれなかった」という厳然たる事実だ。(pp.173)

わが国が過去GDP世界第2位だった件も、

当時は「みんなで同じことをやる」という工場生産が主力だったからだ。工場労働者に多様性はいらない。(pp.213)

説得力があります。

「いまの世の中、どこかバカっぽい」と案ずる向きは接しておいたほうがよいエッセイでした。

さて、バカを語った古典のひとつ、

ホルスト・ガイヤー 著『馬鹿について:人間-この愚かなるもの』、創元社(1958年)

では、

(1)知能が低すぎる馬鹿

(2)知能が正常な馬鹿

(3)知能が高すぎる馬鹿

上記3分類がなされています。

『バカの災厄』があつかったのは、おもに「ガイヤー分類(2)」前後であろう人々。

自覚し、励めば、どうにか改善するやもしれません……。

ところで、タイトルにバカの語を含んだ随想・評論は珍しくなく、わたし自身あれこれ読んできました。

うち、刺激を受け何か考えることにつながった作品を順位づけし、ご紹介します。

あらかじめお伝えしておくと、「ガイヤー分類(3)」を対象とした本がほとんどでした。

第1位 呉智英 著『バカにつける薬』、双葉社(1988年)

第2位 小谷野敦 著『バカのための読書術』、ちくま新書(2001年)

第3位 福田和也 著『バカでもわかる思想入門』、新潮社(2006年)

第4位 勢古浩爾 著『まれに見るバカ』、洋泉社新書y(2002年)

第5位 小浜逸郎 著『やっぱりバカが増えている』、洋泉社新書y(2003年)

第6位 遠藤周作 著『狐狸庵閑話 古今百馬鹿』、角川文庫(1972年)

第7位 別冊宝島編集部 編『まれに見るバカ女』、宝島社文庫(2003年)

第8位 なだ いなだ 著『専門馬鹿と馬鹿専門:つむじ先生の教育論』、筑摩書房(2005年)

第9位 仲正昌樹 著『知識だけあるバカになるな!:何も信じられない世界で生き抜く方法』、大和書房(2008年)

第10位 長田正松 著『バカ・ケチ・ナマケは酢を飲まない』、光書房(1981年)

「この人の著作ならば読みたい」と思わせられる執筆者が多く(とくに第1位から第6位まで)、じっさい、どれも軽いタイトルのわりには読みごたえを感じた書籍群です。

第7位の『まれに見る~』には続編があって、

別冊宝島編集部 編『まれに見るバカ女との闘い』、宝島社文庫(2005年)

正編と同じく痛快な内容でした。

第10位に置いた『バカ・ケチ・ナマケは酢を~』。

わたしはもともと酢が好きだったため読了後に酢の摂取量が格別増えたわけではないものの、当該書で「酢・クエン酸の効果(長田書、pp.54)」を知り、以来35年間、クエン酸を飲みつづけています。

酢やクエン酸のおかげなのかどうか断言できませんが、当方、まもなく67歳になろうというのに、重い病気をもっていません。

金原俊輔