最近読んだ本563:『テロルの原点:安田善次郎暗殺事件』、中島岳志 著、新潮文庫、2023年

わたしは、いつか、明治時代および大正時代の実業家・安田善次郎(1838~1921)に関する知識を得たいと思っていたのですが、機会をつくれないまま、安田を語った評伝に目をとおすより先に、彼を暗殺した人物の話を読む次第となりました。

それが上掲書です。

暗殺したのは、朝日平吾(1890~1921)。

生まれは佐賀県で、長崎県にも住みました。

長崎の鎮西学院を卒業したのち、東京や福岡さらには大陸で生活したそうです。

鎮西学院はわたしが長らく勤務した学校法人ですので、『テロルの原点』にて突然この校名が登場したときは驚きました。

こうしたご縁がある場合、ふつう少しは主人公への同情的コメントを書くところ、今回は朝日に対してそんな気もちが生じません。

彼は「博徒」や「毒婦」との付き合いを深め、たびたび喧嘩沙汰に陥った。(中略)
仕事の売上金を懐(ふところ)に入れ、3日間にわたって豪遊した。その結果(中略)告訴され、警察に拘束された。(pp.83)

狷介(けんかい)で、攻撃的、プライドが高く、関係者らを平凡とさげすみ、親しい友人はほとんどいない、仕事に就いてもすぐ辞めてしまう、父親にお金をせびりつづけ、果たしたことといえば上記の暗殺……、どうにも共感の抱きようがないのです。

幼少期の家庭環境が良くなかった点は気の毒ですけれども、彼程度の家庭環境を体験し乗り越えた人々は山ほどおられるはず。

わたしは、朝日には「反社会性パーソナリティ障害」や「自己愛性パーソナリティ障害」などがあったのではないか、と想像しました。

長じたのちの政治活動は空論ばかり失敗ばかりで、

朝日の話に真剣に耳を傾ける人間は、もはや、世界のどこにも存在しなかった。彼は、周囲から嘲笑され、疎(うと)んじられていた。(pp.134)

あげく、

その攻撃性は、ますます鋭利なものになっていた。日々、富者を恨み、敵意を強めていた。(pp.166)

「富者」の代表として、安田善次郎が標的となってしまったわけです。

安田に関してはくわしい紹介がなされなかったものの、それでも本書は調べが行きとどいた良質なノンフィクションと感じました。

おもしろかったです。

蛇足ですが、既述したように、わたしは鎮西学院で働いていました。

しかし、そこで、一度たりとも朝日の名前を聞いたことはありません。

学院の上司や同僚たちが殺人犯となった卒業生の存在を恥じ黙していたからではなく、たんに誰も事件の詳細を知らなかったためでしょう。

以上から、暗殺という卑劣な犯罪の加害者は「世間を見返すような『大事』(pp.90)」を成しとげたつもりであっても、結局、すみやかに忘れ去られる……、こう言えるのではないかと思います。

金原俊輔