最近読んだ本605:『むしろ幻想が明快なのである:虫明亜呂無レトロスペクティブ』、高崎俊夫 編、ちくま文庫、2023年

わたしが初めて虫明亜呂無(むしあけ・あろむ、男性、1923~1991)の随筆に接したのは、もう半世紀前。

ラグビーを語った文章でした。

当時、自分自身がラグビー部員だった関係で内容に魅入られたこと、そして執筆者名が一風変わっていたこともあり、その件をずっとおぼえていました(なお、お名前は本名です)。

しかし、以降、彼の他の作品を読む機会はありませんでした。

2023年に入って、高崎氏(1954年生まれ)が虫明のエッセイ集を編さんしてくださり、おもしろそうだったし、なつかしさも手伝い、早速『むしろ幻想が明快なのである』をひもといた次第です。

ところで、わたしは何となく虫明をスポーツ評論ばかり執筆した著述家と思っていましたが、間違っていました。

彼は、スポーツに加え、

映画、文学、演劇、音楽、旅、ギャンブル、恋愛論、女性論など(後略)。(pp.406)

幅広いテーマをあつかっていたのです。

本書にも多彩な領域の話題が含まれていました。

そのうち、いちばんお得意だったのは、やはりスポーツ評論と見受けられます。

たとえば、

アメリカではサッカーも、ラグビーもさかんでない。
さかんなのは、アメリカン・フットボール、野球。それにゴルフ。
いずれもゲームの合間合間に時間を必要とするスポーツである。合間はスポーツをスポーツとしてたのしませるよりも、むしろ、ドラマとしてたのしませる傾向に人を持ってゆく。(中略)
間をいれることで、ゲームはしだいにクライマックスにちかづいてゆく。観客はそれをたのしむ。(pp.137)

御説のとおりと首肯させられました。

スポーツ以外の話題としては、映画。

米国の精神科病院を舞台にした『カッコーの巣の上で』を、虫明は「大傑作(pp.228)」と評したうえで、

病院では自由について、感情について、イメージについて、神について語るときに、たちまち、規則にしばられ、病院から体罰をうける。そのくせ病院は患者のためを思って、良いことをやっているのだと、得意になる。(中略)
図式的な言いかたになるが、体制と個人、法律と自由、弾圧と統制など社会が人間を抹殺するために、あらゆる拘束を発揮して僕らひとりひとりをいかに骨抜きにしてダメにしてゆくかが描かれている。(pp.229)

社会への危機意識を滲ませています。

女性論的な意見を発表したときの体験も綴(つづ)られていました。

僕はまた、最近、多くの女性読者から、僕が女性雑誌に書いている、「男と女」のことや、女性の恋愛感情にかんする文章は、むしろ、男性雑誌に書くのが正しいのではないかというアドヴァイスを与えられる。つまり、女の心情とか、生理感覚とか、意識とかを、男性雑誌に発表して、男が女を見る目を、もっと正確なものにしていってほしいと、彼女たちはいうのである。男が、いかに女をわかっていないか、(後略)。(pp.292)

驚くほどの自信ですが、きっとこんな自信をもってしかるべき反響があったのでしょう。

以上、本書を開けば、細部まで視線が注がれた虫明の能文を味わうことができます。

書中あちこちの記述によって白人女優への憧れがやや強すぎる気がしたものの、それはご本人の勝手であり、また、むかしの日本人男性にはそういうタイプが多かったのだろうと憶断しました。

金原俊輔