最近読んだ本647:『定年後に読む不滅の名著200選』、文藝春秋 編、文春新書、2024年

書中、多数の選者がいろいろな「不滅の名著」を紹介して下さっています。

ただし、どの名著も歯ごたえがありすぎ……。

わたしでしたら定年後には肩がこらない読物を手にするでしょうけれども、上掲書の選者たちはどうやら硬くて難解な古典に挑戦なさる(なさっている)みたいです。

やはり知識人はすごいと敬服しました。

さて、以下、鈴木秀子氏(1932年生まれ)という修道女のかたがご担当した箇所を取り上げさせていただきます。

同氏は『ヨブ記』を推薦されました。

推薦文の冒頭にて、

私の人生で、最も衝撃的な出来事は、中一のときの終戦を境にして起こりました。夏休みが終わって登校すると、教頭先生の思いがけない言葉を聞いたのです。
「まだ神社の前で頭を下げている馬鹿者がいる」(pp.190)

わたしは、敗戦と共に日本の大人たちが態度言動を急転、昨日までは鬼畜米英だの何だのとのたまっていたのにがらりと正反対のことを言いだした、子どもだった自分はその豹変ぶりに仰天した、あきれてしまった、そうした趣旨の回顧録やエッセイにあちこちで接してきました。

鈴木氏も体験者のおひとりでいらっしゃったわけです。

たしかに若い人々にとって人生観あるいは価値観が揺るがされる衝撃だったでしょう。

そんなご見聞と『ヨブ記』との関連は分りかねたものの、当方『ヨブ記』をチラッとしか読んだことがないので、こちらの理解などおよばぬ深い結びつきがあるのだろうと想像しました。

いっぽう、鈴木氏の文章の後半に書かれていた、遠藤周作(1923~1996)の最晩年。

わたしは遠藤が描述の状況で死を迎えたと知っていませんでした。

病床にあって苦しい症状に敢然と闘いを挑んだようです。

誠に立派と思いました。

遠藤のエピソードと『ヨブ記』のつながりは合点がゆきます。

遠藤氏のこの世での最後の日々は、(中略)ヨブに「沈黙の神」が最後に発せられたひと言、「腰に帯して男らしくせよ」を生き抜いたのです。(pp.193)

最後に、余談ながら……。

『定年後に読む不滅の~』には、第5章「縦横無尽に面白い時代小説50冊」なる、時代小説・歴史小説を俎上(そじょう)に載せた鼎談コーナーがありました。

小説家と文芸評論家と歴史学者との意見交換で、語られた作品はどれもがおもしろそう。

わたしは、現役引退後、こうした読むのにつらくなさそうな本をゆっくり繙(ひもと)きたいと計画しています。

金原俊輔