最近読んだ本649:『歴史に消えたパトロン:謎の大富豪、赤星鉄馬』、与那原恵 著、中公文庫、2024年

赤星鉄馬(あかぼし・てつま、1882~1951)という富豪がいたそうです。

父親が一代にして莫大な財産を築きあげ、そして病没、長男だった鉄馬が20代前半の若さで全資産を受け継いで、実業家・財界人・慈善家・趣味人としての道を歩みだしました。

『歴史に消えたパトロン』は、そんな鉄馬の一生を追った伝記。

わたしは伝記が好きなのですが、ほとんどの場合、名前ぐらいは知っている人物に関する書物を選びます。

しかし、今回の赤星鉄馬にかぎっては、名前すら初耳でした。

にもかかわらず、本書のページを開くや内容にグイグイ惹きつけられ、一気に読了しました。

著者でいらっしゃる与那原氏(1958年生まれ)の文章力および調査力のおかげです。

父親の遺産で億万長者になった鉄馬の運命自体が興味深いものの、そればかりではなく、彼は年齢的に関東大震災や第一次世界大戦や第二次世界大戦を体験しました。

その結果、鉄馬の人生を俯瞰する行為は、彼の個人史を見返すというよりも日本史・世界史の一時期を眺めることとほぼ同義になります。

少なくとも当方はそんな印象をもちました。

上記の典型例をひとつ紹介しましょう。

鉄馬と美貌の妻・文(ふみ)が海外にて新婚旅行を楽しんでいた際、

「新婚旅行中、ロンドンかパリの大使館でパーティが催され、鉄馬夫妻が招かれたそうです。そのパーティで文にダンスを申し込んだのが、ジョージ五世だったというのです。
そのとき、彼女はハネムーン中なのでご遠慮いただけますか、と口添えしたのが吉田茂だといわれているのです」(pp.146)

当時のイギリス君主や後の日本国内閣総理大臣が出てくる、眩暈(めまい)がするほど華麗なエピソード。

本書ではこんなすごい顔ぶれが相ついで登場しました。

わたしが高校生時代に関心を抱いていた米国の飛行家チャールズ・リンドバーグ(1902~1974)までもが……。

さて、鉄馬は多くの事業に関与し、なかでも特筆すべきは、

日本初の本格的学術財団といわれる「啓明会」の創設資金を提供した(後略)。(pp.4)

件です。

この啓明会、

赤星は資金を提供したものの、自らは設立者にならず、役員に名を連ねることもなかった。(pp.420)

由でした。

陰徳を積んだと言えるでしょう。

同会は長らく「研究助成事業を続行した。(中略)ひっそりと終止符が打たれるのはじつに平成22年(2010)である。(pp.8)」だったそうです。

すばらしい……。

残念ながら、鉄馬は第二次世界大戦における日本敗北にともない、かなりの資産を失いました。

赤星鉄馬は一代目が築いた財産を放蕩した典型的な「二代目」だったという見方もあるのかもしれない。(pp.9)

おまけに、鉄馬の、

兄弟や子どもは学問や文化、技術やスポーツの分野で活躍している。(pp.419)

これはまるで江戸時代の川柳、

売り家と唐様で書く三代目   詠み人知らず

を、地で行った感じがします。

けれども赤星鉄馬に対し同川柳を嘲笑的な意味合いで用いたくありません。

書中の彼は、富豪として生きるという境遇に黙って従い、手持ちのお金を静かに使った、落ち着いた雰囲気を漂わせていました。

金原俊輔