最近読んだ本675:『漫画のカリスマ:白土三平、つげ義春、吾妻ひでお、諸星大二郎』、長山靖生 著、光文社新書、2024年

上掲書は「『漫画のカリスマ』ともいうべき表現者たち(P. 4)」を対象とした評伝です。

わたしの場合、副題に名前が入っている4名のうち、白土三平(1932~2021)・つげ義春(1937年生まれ)を愛読し、いっぽう、残りのおふたりに関してはそれほど多数の作品を手にしてきませんでした。

その理由として、

戦中戦後を記憶する白土やつげの作品が、非現実を描いても物語も絵柄も「リアル」であり続けたのに対して、戦後生まれの吾妻や諸星の作品は「幻想」に傾いている。(P. 153)

前者と後者はこのように異なっており、当方には「リアル」な「絵柄」を好む傾向があるためです。

本書に記されていた丁寧な解説を読み、白土やつげの魅力を再認識したうえ、諸星(1949年生まれ)そして吾妻(1950~2019)の魅力を感知することができました。

白土・つげは、

ウルトラメジャー漫画家とはいえなかったが、50年代、60年代の全共闘・全学連世代の青年層に熱く支持されただけでなく、思想的な影響力を持っていた。(P. 5)

吾妻・諸星も、

メジャーど真ん中の漫画家ではなかったが、70年代、80年代の若者に熱く支持され、それ以降の漫画家たちにも大きな影響を与えた。(P. 6)

こんな「飛び切りの男性漫画家4人(P. 280)」だったのです。

それにしても『漫画のカリスマ』に出てくるかたがたは、みなさん日本マンガの黎明期に活躍した人たちばかり。

一例を、第2章「つげ義春:実存と彷徨と猥雑と生活(P. 73)」より引用します。

つげは(中略)永島慎二、遠藤政治らと親交を持った。またトキワ荘グループ(新漫画党)の集まりにも時々参加したが、人見知りが激しく、強く結びついているグループに圧倒されて、溶け込むことができなかった。当時、つげは生活のために自分に向いた労働として漫画を描いており、石森や藤子らのように理想を抱きつつ漫画を描いている人々とは落差を感じたのかもしれない。
まだヒットがなく、石森章太郎のアシスタント仕事をしているような状態だった赤塚不二夫だけは、つげと親しくなった。(P. 87)

上のわずか4行の文章に登場した面子だけで日本マンガ史におけるかなり重要な部分をカバーしていると言えるでしょう。

マンガの来し方を把握できました。

マンガの行く末については、第5章「エンタメでの自己表現の困難と、未来の漫画(P. 255)」の中にあった「これからの漫画はどこに向かうのか(P. 272)」項が示唆に富んでいる、と思います。

ところで以下、本筋から離れた感想をふたつ。

まず、

妻ががんであることが分かると、つげ義春の精神も不安定になった。(中略)
ノイローゼ(不安神経症)で病院に通院し、80年には森田療法を受けている。(P. 134)

わたし自身お世話をいただいた森田療法がまさか『漫画のカリスマ』内で言及されるとは予想していませんでした。

森田療法の患者だった表現者としては倉田百三(1891~1943)が有名であるものの、今となってはつげ義春のほうが世間に知られているかもしれません。

つづいて、

内容は分かっているし、あの場面もこの場面も脳裏に焼き付いているのに、ときどき無性に読み返したくなる小説があり、漫画がある。(P. 279)

著者(1962年生まれ)のご指摘どおり、だれにでもこうした諸作があるはず。

わたしですと、『シャーロック・ホームズ』シリーズ、夏目漱石(1867~1916)のおもに初期小説群、坪内祐三(1958~2020)と福田和也(1960~2024)の対談集、唐沢俊一(1958~2024)と村崎百郎(1961~2010)の対談集、そして『サザエさん』『いじわるばあさん』、などが該当します。

金原俊輔