最近読んだ本707:『アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか:大正十年「サンテル事件」を読み解く』、藪耕太郎 著、集英社新書、2025年
上掲書は、
『柔術狂時代:20世紀初頭アメリカにおける柔術ブームとその周辺』、藪耕太郎 著、朝日選書、2021年 「最近読んだ本486」
を執筆された藪氏(1979年生まれ)が、新たにお書きになった「異種格闘技戦の歴史(P. 10)」です。
いわば『柔術狂時代』の姉妹編。
どんな内容かというと、
1921年2月末、アド・サンテルというレスラーが来日し、講道館に戦いを挑んだ。この挑戦に応じるか否かで講道館は揺れる。当初、館長の嘉納治五郎は黙許の姿勢を示していたが、幹部の猛反対に遭って寸前で翻意した。(P. 6)
簡潔な概要説明であり、藪氏は発掘なさった各種史料を織り交ぜつつ、引用文3行を膨らませて行かれました。
本の随所に「よくまあこんな写真が残っていたもんだ」「よくもまあどこからかそれを見つけだしたものだ」……、こうした感慨が起こるめずらしい写真が載っています。
米国の映画俳優ダグラス・フェアバンクス(1883~1939)らしき男性が柔道の稽古をしている写真も含めて。
それでは、わたしの『アメリカのプロレスラーはなぜ~』の読後感を、ふたつ述べます。
まず、多数の柔術家や柔道家たちが本邦からアメリカへ渡って異種格闘技戦をおこなった話が作品内のあちこちに記されており、われわれ日本人が会心の笑みを浮かべる結果にはほとんど至らなかったとはいえ、柔術家・柔道家らの血の気の多さを頼もしく思いました。
そもそも、武道家たるもの異なる闘いかたをする相手と向かい合う状況を常に想定しているはずですので、彼らの挑戦は武道の本質に沿っていたと見て良い、と考えます。
もうひとつの感想。
わたしは、嘉納治五郎(1860~1938)は講道館において帝王のごとき存在だったと想像していたのですが、かならずしも正しくはありませんでした。
つぎに出てくる「高師派」とは「東京高等師範学校の出身者(P. 200)」を意味します。
講道館の多数を占め、かつ嘉納に最も忠実なはずの高師派が挙って反対の声を上げたことで、ついに嘉納も翻意せざるを得なくなった。(P. 201)
創始者として柔道を本来的に「自由」にできるはずの嘉納は、いまや講道館という組織の論理に雁字搦(がんじがら)めにされ、身動きが取れなくなっていた(後略)。(P. 223)
文章を読むと、嘉納が骨の髄まで民主的だったのかどうかまでは分らないにせよ、専制君主ではなかった模様で、リーダーとしての彼のまともさが窺えました。
著者も「嘉納の人間臭さ(P. 245)」という表現などで、嘉納を肯定なさっています。
以上、『アメリカのプロレスラーはなぜ~』は、歴史に関心がある人、格闘技が好きな人、「日米両国(中略)によって織り成される物語(P. 11)」を楽しみたい人、「組織の長(P. 245)」のありかたを学びたい人、に向いた読物でした。
金原俊輔