『東大教授の「忠臣蔵」講義』、山本博文著、角川新書、2017年。

わたしがこれまでに読過した「赤穂浪士」「四十七士討ち入り」「忠臣蔵」関係の小説や随筆は、

芥川龍之介著「或日の大石内蔵之助」(収録:『芥川龍之介全集』第2巻)、岩波書店(1977年)

丸谷才一著『忠臣蔵とは何か』、講談社(1984年)

堺屋太一著『峠の群像』、文春文庫(1986年)

森村誠一著『忠臣蔵』、講談社文庫(1991年)

以上4作です。

多くはありません。

しかも最近はそちら方面の読書から遠ざかっていました。

とはいえ、テレビでやっている忠臣蔵がらみの番組をチラッと観たり人との会話中に当該話題が出てきたりする瞬間があって、話の大筋あるいは主役・脇役たちのことについては一定の知識を保っています。

そのせいか、わたしは元禄時代の同事件を何となく身近に受けとめています。

今回ひさしぶりに上掲書を読み、浅野内匠頭(たくみのかみ)の項などで、

経済力にものをいわせ、女色漁(あさ)りをしていたらしいんです。家臣も豊かだったので不満はなかったでしょうが、藩主として魅力のある存在とはいいがたい大名だったのかもしれません。だから、赤穂事件は、藩主が名君だから起こったということではありません。(pp.57)

といった情報へ接した際、あたかも昨今の政治家・芸能人のゴシップを耳にしたかのような面白味をおぼえました。

かなりの日本人がご同様と想像します。

とにかく、わたしは「おおむね知っている」という気もちのもと本書のページを繰りつづけました。

そうしたところ、吉良邸討ち入りのシーンに入り、

斬り込んだ者は、負傷して倒れた者はそのままにし、新手の敵と渡り合った。内蔵助は、火の元に気を配るよう命じた。
浪士たちは、大声で、
「浅野内匠頭家来、主(あるじ)の敵討(かたきう)ち!」
と叫びながら、屋敷の奥へ進んでいった。(pp.205)

こういう描写に接するや、性懲りもなく感動し、目に涙がたまりました。

おどろきです。

知っているストーリーを読みながら自分に感情の動きが生じるとは、予想できていませんでした。

討ち入り以来、わが国で何度もこの物語が書かれ演じられ語りつがれてきた理由がわかります。

日本史における「赤穂浪士仇討ち」のひとコマは、長く国民の心を洗ってきたのです。

心が洗われるできごとは、いくたびであれ振りかえりたいものです。

その結果、日本人は忠臣蔵にまつわる情報を多かれ少なかれ自身のうちに貯え、たがいに共有するようになったのでしょう。

さて、わたしは『東大教授の「忠臣蔵」講義』に目を通すいっぽう、現代の若者の「活字離れ」「スマホ依存」「ゲーム中毒」を考えました。

上記状況がずっと継続してゆけば、日本文化の一部分になっている忠臣蔵情報が消滅してしまう可能性があると思ったのです。

以下、虚実をおりまぜて書きますが、「二人内蔵助」「殿中でござる」「風さそふ 花よりもなを われはまた~」「遅かりし由良之助」「昼行灯(ひるあんどん)」さらに「(合言葉の)山、川」などの常套句が、やがては死語と化すのではないでしょうか。

忠臣蔵譚だけではありません。

天照大神(天岩戸の件)も菅原道真(東風吹かば~)も源義経(京の五条の橋の上)も豊臣秀吉(信長の草履)も加藤清正(虎退治)も新選組(池田屋騒動)も、すべて同じ運命のはず……。

歴史が流れるなかで大事にあつかわれてきた故事成語が通じなくなってしまうような日本は、国民間の根っこのつながりが弱い国家になるのではないか、と心配しています。

金原俊輔