『台湾人生:かつて日本人だった人たちを訪ねて』、酒井充子著、光文社知恵の森文庫、2018年。

酒井氏(1969年生まれ)は映画監督でいらっしゃるとのことで、すでに上掲書と同じタイトルの映画を制作されているそうです。

氏は、かつて日本が台湾をどのように統治したか、そのころの台湾人たちはどのような苦い思いを味わったのか、過去の事実を掘り起こすために、統治を知っているかたがたにインタビューを実施されました。

被統治体験を語ることができるみなさまは、当然ながらどなたもが高齢者であり、また、日本語を流暢にお話しになられます。

元・日本人ですから。

台湾で一般に「日本語世代」と呼ばれる層です。

本書では、日本語世代が有する日本への恨みや怒り、それでも日本を嫌いではないお気もち、こうした微妙で複雑な心境がつぶさに語られました。

たとえば、1926年生まれの陳さん(女性)。

昭和10年(1935年)にかけた祖父と父と母の生命保険。それを10年間納めた。朝日生命保険、昔の帝国生命保険、きちんと返してくれない。(中略)
昭和50年(1975年)に日本に行って、保険を返してくださいと言ったらね、国家と国家の取り決めが決まるまで待ってくださいという返事だった。あとになって、当時の120倍で返すと言われた。日本と国民党が決めたのよ。ひとり1000円ずつ納めてたの。当時の1000円は大金よ。それがたったの120倍。そんな小さいお金いらないよ。悔しくて。これは背信行為です。(pp.66)

とてもお困りのようです。

なんとかならないのでしょうか。

彼女は、しかし「やっぱり、日本人好きなの(pp.66)」ともおっしゃってくださいました。

別のかた、こちらは男性ですが、戦時中、日本軍の兵士であったときに日本人軍曹から「チャンコロ」とののしられました。

それを言われたぼくとしては本当に悔しかったですよ。わたしの一生の深い傷だと思いますね。チャンコロと言ったら、清の国の奴隷。ぼくたちは何代か過ぎてるんですよ。教育も環境も全部日本人のように仕立てられてきたんですから、チャンコロというのは、すごい侮辱です。(pp.86)

いまでもお怒りでした。

お怒りのいっぽう、「日本のみなさんには親しみを感じますよ。たしかに昔のぼくたちの同胞だと(pp.97)」、このように思ってくださっているそうです。

さらに、台湾原住民のある男性は、ご自分が子どもだった時期の日本人教師・日本人警察官たちを振り返り、

戦争が終わって日本人が帰ったときは泣いたね、陰で。(中略)
厳しい人もおったけどね、言う通りにすれば全然問題ない。自由なんですよ。しかし規定に違反すると大変厳しい。ぼくらみたいな性格は、はっきりしとるのが好きですね。いいはいい、悪いのは悪いと。厳しいは厳しいけど、その中にとにかく原住民を、愛を、真心を込めて教えるんだという思いがあった。(pp.162)

感謝を示されました。

なお、台湾においては「先住民」ではなく「原住民」と表記するのが適切ですので、著者はその語を用いられています。

わたしは本書を読みつつ、台湾と日本のあいだの深く歴史的な縁を感佩(かんぱい)せずにはいられませんでした。

すでに見たように、ご縁には困惑や憎しみそして怒りも含まれており、それらはすべて日本側が責めを負うべきものです。

ところが『台湾人生』に登場するかたがたの談話では、どこかしら、日本に対する「許し」「愛情」がじんわり滲(にじ)みでてくるのです。

たいへんありがたい傾向です。

同傾向が生じる理由は、以下の、宋さんという男性のご発言で説明されると考えられます。

日本人にいじめられたといえばいじめられた。でもいま考えると、結果として日本は台湾で偉大な建設をやって、偉大な精神を残した。
あのころ台湾の治安は、兵舎の脇を通れば絶対的な安心があった。いくら夜中でもお金を持っていても女の人でも平気で通った。街中でもそうだけど、兵舎の脇は安心。
ところが中国兵になると逆です。兵舎の脇に行ったらいつ取られるか、女の人もいつ引っ張り込まれて強姦されるか。だから比較しなきゃわからないんです。
昔は窓も戸も開けっ放し。終戦になって大陸の人がやってきて、どんどん治安が悪くなった。(pp.211)

日本が去ったあとに来た中国軍の実態があまりにひどかった結果、日本語世代において、日本統治時代のよくなかった記憶が和らいだのではないでしょうか……。

そして、著者は本書「あとがき」に、

日本語世代のみなさんは、自分たちの死後、台湾と日本の関係はどうなるのかという心配を口にされるが、「どうぞご心配なく、あとはおまかせください」と伝えたい。(pp.252)

と書かれました。

感動をおぼえます。

わたし自身、敬愛する台湾と日本が今後も良好な関係を維持してゆくための(ごく小さな)一部分になりたいと勝手に願っており、できることをおこなっているところです。

金原俊輔