『わたしの家族の明治日本』、ジョアンナ・シェルトン著、文藝春秋、2018年。

アメリカ人でプロテスタントの宣教師だったトーマス・アレクサンダー(1850~1902)は、「西南の役」が終結した直後の日本へ奥様と共に赴任し、各地でキリスト教を広めました。

彼の娘エマ(1880~1904)も宣教師となって来日。

著者(1951年生まれ)は、アレクサンダーのひ孫にあたる女性です。

彼女もまたアメリカ合衆国財務省において日本経済専門のエコノミストをお勤めになりました。

ずいぶんわが国とのご縁が深い一族です。

上掲書は、アレクサンダーおよび妻子たちの体験を軸に話が進む、家族史と日本史とがしっくり融合したノンフィクションでした。

板垣退助(1837~1919)も登場します。

この種の本では、外国人が日本にたいして感じた肯定的な驚きが、よく記されます。

本書も同様でした。

例をあげれば、アレクサンダーと妻は、

日本人の若者が非常に勤勉で知識欲旺盛なことを知ってうれしかった。まれに不真面目な若者もいたが、とくに武士階級出身の学生たちは、忠実、高潔、勇気を重んじる教育と伝統を誇りにしていた。
低い階層出身の者ですら礼儀正しく、質素で勉強熱心だった。(中略)
アメリカとはいろいろな面で対照的な国だった。たとえば、日本人は家に鍵をつけない。それは日本人の善良さを表していた。(pp.65)

好感をもったみたいです。

つづいて、アレクサンダーが国内出張をおこなったときには、

なぜ日本人が勤勉なのか、地方への旅でその理由がわかる光景に出会った。
子どもからお年寄りまで家族全員が田畑で腰をかがめて働き、手細工と家内工業に精を出していた。(pp.110)

因果関係が逆かもしれないものの、まあ、嬉しい描写ではあります。

さて、『わたしの家族の明治日本』では、家族間の強い絆が描かれていました。

すばらしいストーリーだったのですが、読みながら、わたしはつい脱線し、おそらく著者が意図してはいなかったであろう方面の感想を抱きました。

プロテスタントでは牧師の結婚が認められており、その結果、宣教師はふつう家族を帯同して着任します。

いっぽう、カトリック神父は結婚できず、赴任の際には単身でやってきます。

そしてどうなるか。

本書でも語られていたように、牧師さんたちは家族の病気や進学、さらには他の事情により、仕事なかばで勤務地を離れ、母国へ戻る場合があります。

神父さんのほうは家庭問題に煩わされることなく、しばしば行った先で骨を埋めます。

こうした「異国の土になる」という不退転の覚悟が、きっと現地の善男善女の胸を打ち、民草の信頼獲得につながっていったのではないでしょうか。

すくなくとも、むかしの長崎キリシタンの帰依にはそんな要素が含まれていただろう、と推察します。

感想は以上です。

わたしは若かったころから「欧米人の日本滞在」がテーマの書籍をぽつりぽつりと読んできました。

読むつど、異民族による思わぬ指摘に接し、自分が慣れ親しんだ文化・習慣を見直すきっかけになっています。

いずれ劣らぬ名作ばかりなのですが、トップ・テンは次のとおりです。

第1位 『長崎海軍伝習所の日々:日本滞在記抄』、ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ著、平凡社(1964年)

第2位 『死の内の生命:ヒロシマの生存者』、ロバート・J・リフトン著、朝日新聞社(1971年)

第3位 『英国公使夫人の見た明治日本』、メアリー・フレーザー著、淡交社(1988年)

第4位 『勝海舟の嫁 クララの明治日記 上・下』、クララ・ホイットニー著、中公文庫(1996年)

第5位 『イザベラ・バードの日本紀行 上・下』、イザベラ・バード著、講談社学術文庫(2008年)

第6位 『一外交官の見た明治維新』、アーネスト・サトウ著、岩波文庫(1960年)

第7位 『ライシャワー自伝』、エドウィン・O・ライシャワー著、文藝春秋(1987年)

第8位 『シュリーマン旅行記 清国・日本』、ハインリッヒ・シュリーマン著、講談社学術文庫(1998年)

第9位 『忘れられた日本』、ブルーノ・タウト著、中公文庫(2007年)

第10位 『碧い眼の太郎冠者』、ドナルド・キーン著、中公文庫(1976年)

カッテンディーケ(1816~1866)の作品は、わたしの故郷・長崎市のことをくわしく書いてくださっているので、感謝して第1位に置きました。

第8位の著者は考古学の、第9位の著者は建築学の、それぞれ「超」がつく有名人です。

金原俊輔