『科学と非科学:その正体を探る』、中屋敷均著、講談社現代新書、2019年。

農学者でいらっしゃる著者(1964年生まれ)が、科学的な正しさとは何なのか、科学に存在意義はあるのか、などの疑義を提起したのち、じっくり検討してゆく形式の学術エッセイです。

臨床心理学を専攻するわたしは、上掲書を通読し、自分が「正しい」と信じつづけてきた事柄を改めて問い直すチャンスを与えていただきました。

感謝しています。

読みやすく、中身がスカスカではない、時間をかけて真摯に執筆したと想像される、良書でした。

論調も冷静です。

考えるきっかけがあちこちに点在していたのですが、たとえば農薬の害を語った章において、

科学と呼ばれる体系は、原則的に「現実」の中から抽出した、出現頻度が高く、強い因果律の集まりで構成されているものになる。(中略)
一方、何かと混じったら危険になるかも知れないといった話は、非常に確率の低いリスクの集合体である。どんな物質と混じるのかは偶然に左右されるし、その中に危険性が生じる組み合わせがあるのかないのかすら判然としない。それは、科学の対象となる「強い因果律」から少し離れた、「偶機」のようなものが支配している領域とのはざまに存在しているリスクである。
現実の世界は、この「因果律と偶機」の得も言われぬグラデーションから成り立っている。(pp.64)

中屋敷氏は、心理学者たちが長らく頭を悩ましてきている問題を、このとおり、ごく簡潔にまとめられました。

わたしの場合、アメリカの大学院で耳にタコができるほど聞かされた「オッカムの剃刀」や「モーガンの公準」に、どうしても縛られている状況です。

オッカムの剃刀とは、科学が何かを認識するときには、できるだけ仮説を含まないようにする、という心構え。

モーガンの公準は、心理・行動について低レベルの解釈が可能ならば、高レベルの解釈をおこなってはならない、旨のいましめです。

それはさておき枠内の引用、わたしは「偶機」という言葉を初めて知りました。

つづいて、遺伝子に関する話題の際に、

生命の継続を可能とした戦略の本質は、通常イメージされている、適応的な進化のような一方向を向いたものではない。本当に大切なことは、実はその環境下で生きることには何の役にも立たない、「無駄」な変異をランダムに起こし続け、それを許容することなのである。単純な話ではあるが、他の環境で有利に働く変異は、現環境下では基本的に「無駄」なのだ。(中略)
「無駄」を生み出し、それを許容すること、それが生命の持つ優れた特性である。(pp.139)

なんと含蓄が深い文章でしょうか。

これもまた、心の病気、発達障害、不適応行動、等々を対象とするうえで、臨床心理学が参考にすべきものでした。

『科学と非科学』は、主テーマ「科学的な正しさ」「科学の存在意義」の考察が有益だったばかりでなく、本筋からやや離れた部分も(学問上、農学とはまるで無関係な)臨床心理学に役立つのではないか、こうした読後感をいだいた作品です。

金原俊輔