『このミステリーがひどい!』、小谷野敦著、飛鳥新社、2015年。

題名は別冊宝島『このミステリーがすごい!』になぞらえたものです。

小谷野氏(1962年生まれ)は遠慮をしない書き手ですから、わたしは上掲書を購入する際に「いくつかのミステリーのできがよろしくない」と批判している本なのだろうと予想しました。

ところが、そのような批判もありはしたものの、それを超えて「ミステリー全体がよろしくない」との手きびしいご意見が語られている本でした。

たとえば、同書の前半に、

たいていの推理小説は、現実の殺人犯はやらないようなトリックやアリバイ工作をしているのである。(pp.12)

という糾弾があります。

不自然だし、説得力がない、ということなのでしょう。

いわれてみると確かにそうです。

著者はミステリーだけを疑問視しているのではありません。

推理小説がつまらない、というわけではなく、小説という形式がもはやある時期を過ぎてから過去のものになりつつあるのである。(pp.254)

このように公平な(そして容赦ない)指摘も提示されています。

わたしは中学1年生だったときに「シャーロック・ホームズ」シリーズに接しだし、以降あれこれのミステリーを渉猟して、20歳代後半ぐらいまでにかなりの量を読みました。

しかし、爾後はミステリーから遠ざかり、いまはまったく手に取らなくなりました。

なぜ遠ざかったのか自分で分析したことはありませんでしたが、小谷野氏が本書で述べられたようなことを、あるいはわたし自身も感じていたのかもしれません。

ところで、著者は、

私が一番ミステリーに熱中したのは、この中学1年の時であったろう。
つまりミステリーというのは、それくらいの年齢に適しているということか。(pp.26)

と、お書きになっています。

賛成します。

上述したように、わたしも中学生だったころから推理小説を読みだしました。

発達心理学では「人においてはおおむね中学生時代にものごとを論理的に考える力が高まりだす」と想定します。

そのような年齢層にとってのミステリーは、自身に備わりだした新たな力を発揮できる格好の読物なのでしょう。

だから小谷野氏もわたしも、そして他の人々も、若い時期に推理小説が好きになったのではないかと想像します。

金原俊輔