最近読んだ本421
『20世紀論争史:現代思想の源泉』、高橋昌一郎 著、光文社新書、2021年。
わたしは高橋氏(1959年生まれ)がこれまで発表された本におおむね目をとおしてきました。
前作「最近読んだ本32」こそ若干批判したものの、毎度ご著書によって学ぶところが多く、氏の篤学ぶりにつくづく舌を巻いています。
そして今回の『20世紀論争史』。
20世紀に活躍した学者たちの思想・主張をわかりやすく解説した内容でした。
標題に「論争」の語があるとはいっても直接対決の論争はほとんど取りあげられておらず、「著名学者のあいだで、ある事柄に関し、これこれの異なる意見があった」的なご紹介が主です。
クーンによれば、科学史上におけるパラダイム変換においても、「合理的」な基準は存在しない。つまり、科学理論の変革において決定的な意味をもつのは、「真理」や「客観」などの概念ではなく、科学者集団における「信念」や「主観」に基づく「合意」だということになる。(中略)
ポパーは、科学こそが人類の築き上げた客観的で最高の方法だと考えていたから、クーンには猛反発した。(pp.248)
カール・ポパー(1902~1994)対トーマス・クーン(1922~1996)の闘いは人口に膾炙しており、本書があつかった各種論争の代表例といえるでしょう。
論争ばかりではなく、書中、個々の学者の能力がどれほど抜群だったかという子細なエピソードも挿入されていて、わたしはこちらにも惹かれました。
それはたとえば、数学者ジョン・フォン・ノイマン(1903~1959)は、小さかったころに以下のごとき神童だった由です。
記憶力は幼児期から抜群で、彼がフォン・ノイマン家のパーティで披露(ひろう)してみせたのは、客が開いた電話帳のページをその場で暗記するゲームだった。
その後で、客がランダムに氏名を言うと、ノイマンがその電話番号と住所を答え、電話番号を言うと、氏名と住所を答えた。さらに幼いノイマンは、6桁の電話番号の列をすべて足した和を暗算で求めることもできた。(pp.132)
医学や心理学が「映像記憶」と呼んでいる特性です。
発達障害を有する人などに割合よく見られる傾向で、社会生活ではうまく活かしきれないことが多々あるのですが、ノイマンは自身の能力を学問に活かしきったのでしょう。
後世より「コンピュータの父(pp.186)」と呼ばれているアラン・チューリング(1912~1954)は、
10歳のチューリングは、自分の手にフィットする万年筆を作製し、その万年筆を使って、設計図も付けて、インドの両親に手紙を書いた。当時のチューリングの手紙には、新しい形式のタイプライターや、自転車をこぐ力を蓄電池に蓄積する方法が書かれている。(pp.187)
みなさん、すごい……。
本書の構成は計30章、全編楽しく読ませていただきました。
読みながら疑問をおぼえたのは、つぎの2点です。
まず、1点目。
著者は第25章「『習得』とは何か?」にて、行動主義心理学者ジョン・ワトソン(1878~1958)および言語学者ノーム・チョムスキー(1928年生まれ)を登場させておられます。
しかし、両者は世代が異なりすぎ、実際の接触はありません。
そのせいでしょう、同章はまとまりが悪かったうえ印象も薄く、なぜ、ワトソン、チョムスキー、だったのか、わたしには了知できませんでした。
どうせだったら現役期が近めで、すこし関わりがあった行動主義心理学者B・F・スキナー(1904~1990)とチョムスキーになされば良かったのに、と考えます。
第2点。
『20世紀論争史』は、大学の助手と教授の対話形式で話がすすんでゆきます。
助手は若い女性で教授より無学、教授は年配の男性で博覧強記、という設定でした(しかも、助手が教授のためにしょっちゅうコーヒーを淹れている)。
当該設定が古色蒼然としているというか、昭和以前の発想が更新されていないと思わせられるカビくさい設定です。
上記件にかぎって、著者は意識をお変えになるべきと感じました。
金原俊輔