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『輝け! キネマ:巨匠と名優はかくして燃えた』、西村雄一郎 著、ちくま文庫、2021年。
映画評論家でいらっしゃる西村氏(1951年生まれ)が、邦画の監督および俳優を対に組み合わせ、その業績などを解説した本です。
登場順に、
小津安二郎と原節子
溝口健二と田中絹代
木下惠介と高峰秀子
黒澤明と三船敏郎
以上4ペアが語られました。
わたしの場合、名前のみ知っている人たちが多く、はっきり記憶しているのは「黒澤明と三船敏郎」だけ。
むかしも今もおふたりそろって世界的な存在です。
とはいえ『輝け! キネマ』の圧巻は、第一部「小津安二郎と原節子」ではないでしょうか。
わたしは、原節子(1920~2015)の物語性を湛(たた)えた人生に、興味をかきたてられました。
そこで本コラムでは、唯一「小津安二郎と原節子」章を選び、感想を述べます。
原は「日本人形のような楚々とした美しさ(pp.22)」を有していた「大スター(pp.47)」。
のちに日本の同盟国となったドイツを訪ね「振袖姿で舞台挨拶し、大喝采を浴び(pp.24)」、第二次世界大戦中はわが国の「若き兵士たちのピンナップ・ガール、今でいえば憧れのアイドルだったのである(pp.25)」。
戦後も「絶世の美女として(pp.26)」「輝ける星(pp.26)」でした。
『麥秋』では(中略)彼女は撥刺として、輝くように活き活きとしている。特に秋田へ行く前に、彼女は義理の姉である三宅邦子と砂浜を歩く。そのシーンの原節子の美しさは、尋常ではない。(pp.49)
美貌のいっぽう「消極的で、生まれつき欲が少ない(pp.80)」性格だったとのこと。
小津監督(1903~1963)の死去にともない、40歳代で映画界を引退し、東京から神奈川県鎌倉市へ転居しました。
彼女にはせめて、小津の墓に近い場所に住みたいという思いがあったのかもしれない。彼女はそれ以後、ほとんど近所付き合いもせず、死ぬまでの半世紀の間を、ここでひっそりと暮らした(後略)。(pp.78)
生涯独身を貫き、おそらくその理由は、
小津安二郎と原節子の関係は、男と女の恋愛関係だったのだろう。ただしそれは「忍ぶ恋」ともいうべきプラトニックな愛だった。(pp.277)
胸にじいんときます。
亡くなる時も、誰からも知られず逝去したことは、人生においてもまことに見事な引き際だったように思える。(pp.14)
没年95歳と長寿を全うした点に若干の意外性をおぼえました。
いずれにしても彼女は、亡き小津への愛慕の情を秘めつつ、鎌倉の一隅にて静謐な日々を過ごしたのでしょう。
あとふたつ読後感を記します。
まず、2015年に原が没した折、往年の訪独の件で、著者はマスコミから質問を受けた由です。
「ベルリン行きの際、彼女はヒットラーに会ったのか?」
とさかんに聞かれるので、私は、
「ヒットラーと会った記録はないが、ゲッベルスとは会った可能性がある」
と答えた。(pp.24)
「可能性がある」も何も、当方がインターネットで調べてみたら、即座に、原・ゲッベルスが並んで立っている写真が出てきました。
原とナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス(1897~1945)は、顔を合わせていたのです。
つづいて、本書で評された人々は、すでに全員鬼籍に入られています。
わたしのように初老の者は、やはり自分自身の死を意識しだしているため、読書の途次、重たさを感じざるを得ませんでした。
著者は小津の作品『小早川家の秋』をコメントするなかで、
小津が死を意識した映画だと思う。(中略)
カアカアと泣く何羽ものカラスが橋の下にたむろする。これは明らかに三途の川のイメージだ。『小早川家の秋』は、いつかはきっと襲ってくるであろう「死」を予感させる映画なのである。
実際『小早川家の秋』の後、小津はあと一本監督して亡くなった。(pp.72)
重たさが弥(いや)増す文章でした。
金原俊輔