最近読んだ本642:『裏切り者の中国史』、井波律子 著、講談社学術文庫、2024年

中国史がご専門だった歴史学者・井波氏(1944~2020)による「2500年におよぶ中国の歴史をたどった(pp.3)」作品です。

タイトルで提示されている「裏切り者」とは、

私怨に憑かれた伍子胥と、抜け目がないこと、このうえない司馬懿をのぞき、大多数の者たちが、「裏切り者」とは言い条、どこか根本的に間が抜けていたり滑稽だったり、いわば中国史のトリックスターの要素を兼ね備えている(後略)。(pp.279)

そんな人間像のことでした。

引用文の「トリックスター」について説明します。

これは文化人類学の用語で、神話・民話に出てくる、トリック(策略や詐術)を用いて社会秩序を揺さぶるいたずら者を指し、日本だったら彦一どん、中国ならば孫悟空、などが該当します。

たしかに、『裏切り者の中国史』では、そういう連中の逸話が紹介されました。

悪名高き安禄山(703~757)も語られています。

安禄山自身にも、すでに高齢の玄宗の存命中は、反乱に踏み切る意志はなかったようだ。そんな安禄山が、天宝14年(755)、ついに叛旗を翻したのは、李林甫亡き後、トップの座についた、楊貴妃のまたいとこ楊国忠(ようこくちゅう)(?~756)との確執が原因だった。(pp.190)

安禄山にかぎらず、本書では無数の人物が入れ代わり立ち代わり現われ、そして皆さんの名前の漢字がとても難しく……。

「荀彧(じゅんいく)(pp.108)」とか、「郗鑒(ちかん)(pp.149)」とか、「虢国(かくこく)夫人(pp.190)」とか。

名前には、第1回目の登場の際はルビが振ってあるものの、第2回目以降はルビなし、これではわたし程度の読者には読み進めません。

きつくなってしまい、中盤に入ったのちは惰性と根性でページを繰りました。

ところで、本書において詳述されている虚々実々のかけひき、さらに、逆転逆転また逆転の様相を呈する政争。

いわばそれが中国の歴史そのものであるわけですが、わたしが読書中に惟(おも)んみたのは、孔子(紀元前551~紀元前479)の件です。

孔子が偉大な思想家であったことは、本人の存命中、すでに世間に認知されていました。

しかし、彼の人生後半は諸国行脚に明け暮れ、ひとつの国に長期間定着して思う存分政治的な手腕をふるえなかったのは、よく知られる史実です。

理由は、生き馬の目を抜くような政治家・軍人ばかりだった古代中国において、『論語』で窺える孔子の教えは呑気過ぎるというか平板過ぎるというか、そんな風に受けとめられたからではないでしょうか?

それゆえに、生き残りが最重要課題だった諸侯に重用されなかった可能性がある、と想像したのです。

わたしの儒教理解・論語理解は非常に薄っぺらなため、まったく的外れな見解かもしれません。

金原俊輔