最近読んだ本667:『ルポ フィリピンの民主主義:ピープルパワー革命からの40年』、柴田直治 著、岩波新書、2024年
フィリピン史を手みじかに語ったのち、近代以降における同国の政治状況を紹介したルポルタージュです。
前大統領ロドリゴ・ドゥテルテ氏(1945年生まれ)の政策および為人(人となり)に、とりわけ重点が置かれました。
麻薬撲滅や汚職追放をめざしたドゥテルテ氏の超法規的なリーダーシップは本邦でもずいぶん喧伝され、わたし自身、氏の言動を注目しておりました。
彼に対して、ハチャメチャながら少なくとも「清廉な大統領(P. 113)」というイメージを有していたものの、
ドゥテルテは個人資産の公開を拒む傍ら、使途を明らかにする必要がなく監査の対象にもならない大統領府の機密・情報費を大幅に増額し、使い切った。(P. 115)
ドゥテルテ父娘は私有財産や収入だけではなく、公金の使途に関する説明責任にもまったく無頓着だった。(P. 116)
清廉な大統領ではなかった模様です。
この傾向はドゥテルテ氏にかぎらず、『ルポ フィリピンの民主主義』に登場してくる政治家たちのほぼ全員に見られ、どなたもお金関連の(「大なり小なり」ではなく「大なり」な)悪事を働いていました。
「政権の側に就いていれば罪を犯しても罰せられることはほとんどなかった(P. 72)」、こんなお国柄なのです。
上記が原因のひとつと想像されますが、「アジアの発展途上諸国の中でもフィリピンの貧困削減パフォーマンスの悪さは群を抜いている(P. 170)」由でした。
本書を読み終えたわたしは、ある登場人物が書中で発した「この国は変わらない(P. 170)」という嘆息に同意せざるを得ません。
ところで、『ルポ フィリピン~』のページを繰りつつ、ふたつの感想をもちましたので、それらについて書きます。
まず、
米国は建国以来、中国は共産党支配の確立以来、ロシアはロシア革命以来、日本は明治維新以来、フランスでは共和制の導入以来、体制は違っても政治的に共通する事象がある。女性のトップが一人も現れていないことだ。(P. 227)
スペイン、エジプト、ベトナム、なども同様で、こうした諸国は女性たちの能力発揮を押しとどめ、その結果、国家の健全な発展を自ら阻んでいると考えます。
海外の状況はさておき、わが日本は可及的速やかに、なおかつ継続的に、女性首相を戴きたいものです。
つぎの感想は、1983年、
8月21日朝、防弾チョッキを着て中華航空機に乗り込んだ。空港に着くと制服姿の兵士らがニノイを機内から連れ出した。
そして何者かがタラップでニノイの後頭部を銃撃した。(中略)
二つの遺体が駐機エリアに横たわっていた。(P. 40)
政治家ニノイ・アキノ氏(1932~1983)がマニラ国際空港で暗殺された日、当時28歳だったわたしは森田療法をおこなう東京の病院に入院中で、主治医から「大変なことが起きた。すぐテレビのニュースを見るように」と促され、事件について知りました。
たしかにフィリピンの民主主義の行方(ゆくえ)を左右する大事件でした。
やがてわたしは悩んでいた強迫症が軽くなったので退院し、その後もたいして症状に苦しむことなく現在に至っています。
引用文を目にしたとき「治療を受けたのはもう40年も前なのか……」と思いました。
金原俊輔