最近読んだ本327
『サザエさんと長谷川町子』、工藤美代子著、幻冬舎新書、2020年。
一気に読了しました。
長谷川町子作画『サザエさん』、姉妹社。
昭和時代を代表するマンガです。
わたしが小学生だったころ、地元の長崎県立図書館には本館と別の棟に児童館があり、そこには来館者たちに触られすぎてボロボロになった『サザエさん』10冊ほどが所蔵されていました。
わたし自身も訪館するたび読みふけったものです。
中学に進んで結構つらかったのは児童館に入れなくなり『サザエさん』が身近でなくなったこと。
長じたのち、全集をそろえました。
作者は長谷川町子(1920~1992)。
生前から「国民的マンガ家」と目されていた巨匠です。
『サザエさんと長谷川町子』は、その長谷川の人生を観望した評伝でした。
われわれ一般読者が想像だにしなかった情報がたっぷり含まれています。
たとえば、長谷川が通った小学校。
男子が女子をいじめて泣かすのなど日常茶飯事だ。そんなときに町子は立ちあがった。「義を見てせざるは勇なきなり」と見得を切って、男子を校舎の屋上へ連れ出し、いつもしたたかにやっつけてくれる。(pp.46)
あんなおだやかなマンガを描いた女性が極度のお転婆だったとは……。
つぎに、長谷川が福岡県の新聞社で働いていた時期をご存じの元・同僚は、
「美人でおとなしい方でしたね。(中略)編集局の中には、そんな長谷川さんに惚れて、女房と別れても一緒になるという者もいましたよ」(pp.114)
新聞の写真などで彼女のお顔を見知っていましたが、わたしが物心ついたときにはすでに中年でいらっしゃったので「美人」という印象へたどりつけませんでした。
おきれいだったそうです。
町子がとても若く見え、キメが細かくて色白だ(後略)。(pp.193)
との形容も。
最後に、長谷川は次女で、姉と妹がいました。
自作マンガを出版する会社の商号を「姉妹社」としたぐらい3姉妹で助け合っていた反面、長谷川の晩年に入ると仲が悪くなってしまった模様。
現実のご家族は磯野家のようにほのぼのしていなかったわけです。
工藤氏(1950年生まれ)は「サザエさん一家と真逆の長谷川家(pp.279)」とまで表現されました。
少々残念です。
ところで、読書中、個人的に心にさざ波が立った話題がふたつ出てきました。
まず、わたしは志賀直哉(1883~1971)の小説では『赤西蠣太』を最も好んでいるのですが、むかし、物語に登場する御殿女中「小江(さざえ)」と『サザエさん』って何か関係があるのだろうかと、ぼんやり考えたことがあります。
長谷川の妹・洋子によれば、洋子は『赤西蠣太』を、
傑作だと思うと云って、町子姉にすすめました。姉も蠣太のファンになり、特に蠣太の人柄が好きだと言って、百道(ももち)の海岸で2人で飽かず作品について語り合いました。(中略)
勝気な姉は志賀直哉先生のアイデアを拝借したことを認めたくなかったのだと思います。(pp.123)
の由でした。
ふたつめは、長谷川の画力に関するコメント類。
「漫画界のある長老は、彼女の描く子供が壁にもたれて脚をなかだるみにしている有様は、男の画家には描けないといっている」(pp.160)
別のマンガ家は「ともすると野暮(やぼ)ったくなるのが惜しい(pp.162)」、ニュースキャスターとして著名だった古谷綱正(1912~1989)は「幼稚な画(pp.167)」。
あるジャーナリストにいたっては「気のきいた女学生なら書けそうにも見える画(pp.167)」と低評価しました。
わたしはサザエさんの弟カツオが壁に寄りかかり「脚をなかだるみ」にした場面が妙に可愛らしく記憶にのこっています。
また、長谷川の絵柄を野暮ったいとも幼稚とも思っておらず、さっぱりしていて、レトロな感じが漂っており、好きでした。
女学生でも描けそうとは、もってのほかでしょう。
金原俊輔