最近読んだ本576:『酒場學校の日々:フムフム・グビグビ・たまに文學』、金井真紀 著、ちくま文庫、2023年

詩人・草野心平(1903~1988)が、1960年、東京にて開いた酒場「學校」。

彼の没後も関係者らの後押しがあり存続できていたものの、とうとう、2013年に閉店しました。

上掲書はその「學校」で5年ほど働かれた金井氏(1974年生まれ)による体験記です。

いや、体験記ではなく「紳士淑女録」と呼ぶほうが適切かもしれない……。

ひとりで「學校」を切り盛りなさった女将、文学者連、一般のお客さんたち、こうした多彩な顔ぶれの人間像(生い立ち、奇行、飲み癖、恋あるいは不倫、など)が細かく記されていたからです。

うち、金井氏が最も書き込まれ、読者に強い印象をあたえるのは、いうまでもなく草野心平にまつわる逸話でした。

橋本千代吉さんによれば、カウンターから乗り出して客の胸ぐらをつかみ、「おめえ帰れ」と怒鳴ることはしょっちゅう。(中略)詩人の山本太郎さんも「心平さんがカウンターを飛び越す技術はすごかった」と証言している。(pp.175)

金井氏ご自身はお若いため草野とは出会われていません。

学習院大学文学部日本文学科に在籍なさっていたとき、草野ファンだった氏は、

卒業論文では心平さんの詩をテーマに選んだ。(pp.16)

これが「學校」に吸い寄せられたきっかけ。

すぐさま足しげくお店を訪ねだし、お知り合いが増え、ついにはそこで働くようになったのでした。

ご縁を大切にされるかたみたいです。

ご縁といえば、当方が個人的な縁を有するふたつの事項が、書中触れられていました。

紹介させていただきます。

まず、ひとつめ。

わたしが学んだ長崎市立片淵中学校の校歌は草野心平が作詞したものでした。

金井氏の世代におかれては「中学の国語の授業で配られた副読本(pp.11)」に草野の詩「ばっぷくどん(pp.13)」が記載されていたそうですが、わたしのころの「ばっぷくどん」は中学1年生用の国語教科書であつかわれていたと記憶します。

教科書に載るレベルの大詩人が校歌を書いてくれたという事実を、われわれ生徒は誇らしく思っていました。

つづいて、ふたつめ。

文化人類学の西江先生がやってくる。スーパーのレジ袋にグンゼのパンツを2枚入れ、それだけ提げてケニアでもパプアニューギニアでも出かけていく奇妙な先生。(pp.234)

わたしは和光大学で西江雅之先生(1937~2015)の講義「文化人類学」を受講したのです。

当時、東京大学だったか東京外国語大学だったかに勤められており、和光には非常勤講師としていらっしゃっていました。

身なりにかまわない「奇妙な先生」でしたが、お話は抜群におもしろかったことをおぼえています。

今回、本書を通し再会したのでインターネットで調べ、先生が亡くなられていたと知りました。

そういえば、

本書に登場する幾人かがあちらに行った。(pp.247)

『酒場學校の日々』では、すでに他界している人々や、詳述されたのち死去された人々が、相つぎ登場します。

人生を味わい尽くしたであろう個性派ばかり。

「ばっぷくどん」の一節になぞらえると、どのかたも、

しまった。おれの人生は。(pp.14)

こんな歯噛みをせず長逝なさったことでしょう。

金原俊輔