最近読んだ本437

『岡潔対談集』、岡潔 著、朝日文庫、2021年。

数学者の岡潔(1901~1978)が、1966年・1969年・1970年に、司馬遼太郎、井上靖、時実利彦、山本健吉、以上4人の碩学とおこなった対談記録です。

時実利彦(1909~1973)のみ世間的な知名度を有していませんが、彼は優れた脳科学者で、むかし心理学を専攻していたわたしは時実著の学術書を多数つかい勉強しました。

ところで、当方が以前より知っていた岡に関するエピソードは、わずかひとつ。

歩いているときに数式か何かを着想するや、すぐさましゃがみこんで路上で計算に没頭しだす、という習癖についてでした。

この逸話に触れた学生時代、偉大な研究者の集中力に驚嘆したものの、いまとなっては「発達障害の症状ではないか」と疑ってしまいます。

さて『岡潔対談集』。

岡が一方的にしゃべり、しばしば突飛な見解を提示、対談相手はほとんどご自分の考えを述べることができません。

対談者たちが閉口なさっている様子がページから浮き出てくるうえ、岡を感情的にさせまいとする皆さまの配慮さえ伝わってきます。

全員疲労困憊した対談だったでしょうし、読んでいるこちらとて疲れさせられました。

かくのごとく相互の意見交換が乏しい対談は、めずらしいのではないでしょうか。

ただ、岡が煌(きら)めかせる教養の光芒は類を見ず、数学一辺倒の人物ではなかった事実が窺えます。

法然のは「あみだぶつというよりほかは津の国の浪華のこともあしかりぬべし」です。私にいわせれば、何を勝手な横車。「一つ山越しや他国の星の氷つくような国境(くにざかい)」と思っています。あんなものはいけない。私がまっこうから反対しないのは、いまだいぶおとなしくなって無害になっているからです。法然、親鸞、みないけません。(pp.45)

議論の当否は措き、こんな凄(すさ)まじい主張ができるのは突っ込んで学ばれた成果でしょう。

つづいて、彼によれば「西洋人が心といっているもの、心理学や大脳生理学が対象にしている心(pp.148)」は「第一の心」であり、東洋人ならば「ほのかにではあるが、第二の心(pp.149)」をも持っているそうです。

芭蕉は、とにかく第二の心がよほど磨かれていたらしい。「古池や蛙飛び込む水の音」で言い伝えがあるといって仏頂禅師のことを書いておられますね。あの俳句はほんとうでしょう。芭蕉はほとんど悟りを開いていたのでしょう。(pp.156)

よく分りませんが、「芭蕉はほとんど悟りを開いていた」なる所見は斬新と思いました。

そして本書全体に目をとおしたのち、わたしがおさえきれなかった岡への違和感は、東洋の特殊性、なかんずく日本の特殊性、を強調しすぎる件。

日本民族はデリケートな神経を持っていたのです。(pp.59)

30万年もかかって、造化が美しく染めあげた心が、今日の日本民族だと思う。(pp.89)

日本人はすみれを見ればゆかしいと思い、秋風を聞けばものがなしいと思う。(pp.113)

わたしは、日本人であれなかれ、洋の東西にかかわりなく、人種・国籍にすらかかわりなく、気候や文化などに起因する若干の隔たりがあるだけで、けっきょく人間同士だれしも本質はおなじである、と仮定しています。

金原俊輔

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