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『明治の説得王・末松謙澄:言葉で日露戦争を勝利に導いた男』、山口謠司 著、インターナショナル新書、2021年。
わたしは末松謙澄(すえまつ・けんちょう、1855~1920)を名前だけ知っておりました。
しかし、なぜ知っているのか、自分ではわかっていませんでした。
謙澄は『防長回天史』という著作を遺(のこ)している。(pp.4)
謙澄はもう一冊まったく別の本も執筆していた。
『偉大なる征服者ジンギスカンと日本のヒーロー義経(よしつね)の正体』(中略)というタイトルで、源義経がジンギスカンになったという伝説を書いた評論である。(pp.105)
上記2冊を読んではいないものの、たぶん2冊がらみの何らかの本を読了したときに、彼の名が当方の頭のなかに入ったのではないかと想像します。
さて、末松謙澄。
あまりにも多くの偉業を成し遂げた人物で、職業すら簡単にまとめることができません。
ジャーナリストであり、学者であり、膨大な数の書籍および論文を書いた執筆家でもあり、語学の達人、漢詩を能(よ)くし、官僚・政治家を務めたのち逓信大臣の要職につき、ロビイストとしても成果をおさめ、爵位を授与され、所持していた博士号はふたつ、国内外の文化への造詣も深く……。
明治維新以降つまり黎明期の日本を牽引した英傑だったのだな、と感じます。
なかでも彼が真骨頂を発揮したのは日露戦争当時でした。
日露戦争という我が国未曾有(みぞう)の岐路に当たって、謙澄以外に、我が国が置かれた状況を第三者としての視点で分析し、それをヨーロッパの人たちに理解してもらえるように説明できる者はいなかった。(pp.16)
末松は急遽ヨーロッパへわたり、イギリスあるいはフランスにて、
1904年4月から1905年11月までに、少なくとも講演4回、論文を13本、雑誌・新聞などへの記事11本、書籍2冊を書いてヨーロッパの世論を大きく日本側に動かし、「黄禍論」がドイツ皇帝ウィルヘルム2世の煽動であったこと、またロシアの東アジアへの進出が国際関係に不均衡と悪影響を及ぼすこと、また日本の立場が決してヨーロッパ列強を脅かすものでないことを繰り返し説いたのだった。(pp.202)
まさしく「真の愛国者(パトリオット)(pp.16)」だったのです。
日本史上有数の危機的状況で最も頼りになる愛国者が登場し守護神のごとく活躍してくれました。
ところで、
謙澄はイギリスのある歴史家(名前は不明)に手紙を記し、ヨーロッパにおける歴史編纂がどのように行われるのかという質問をしたという。(pp.94)
謙澄は、明治15(1882)年にロンドンのTRUBNER社から『源氏物語』の英訳を出版する。(中略)28歳の時である。(pp.107)
謙澄は、皇族も含めてすべての国民、外国人が観て楽しむことができる演劇を創り出そうと考えていた。(pp.139)
末松謙澄は、学術研究においても日本文化を鑑賞あるいは教授する場面においても、根本へ目を向けるタイプだったみたいです。
その結果、
ヨーロッパ各地で行った講演や新聞へのインタビュー記事を集めた『昇天旭日』(中略)を読んだアメリカ人科学者・ウィリアム・エリオット・グリフィスは、謙澄こそ東洋と西洋の懸け橋となる名著を書いたと手紙を寄せた。(pp.205)
こうした好反応につながったのでしょう。
根本を軽視してしまううえ、業績などのこせず過ごしてきた自分にたいし、忸怩(じくじ)たる思いが生じる評伝でした。
最後に、まったくの余談ながら、明治から大正にかけて生きた日本人たちの伝記を読む際、なぜか高橋是清(1854~1936)が登場すると俄然話がおもしろくなりがちで、当該傾向は『明治の説得王~』においても同様でした。
金原俊輔