最近読んだ本499:『なぜ漱石は終わらないのか』、石原千秋、小森陽一 共著、河出文庫、2022年
……地元の書店の一角に文庫コーナーがあった。
わたしは何も知らず、たんに「夏目漱石が好きだから」という理由で『なぜ漱石は終わらないのか』を選び購入した。
ページを繰りだすや、中身のすごさに圧倒される。
ひたすら感服する。
書店の奇跡と呼んでも過言ではない体験。
本書を手にしたのが奇跡の始まりだった……。
こんなもったいぶった(おまけに下手な)文章で本コラムを始めたくなったほど『なぜ漱石~』は名著でした。
執筆なさったのは、石原氏(1955年生まれ)および小森氏(1953年生まれ)。
2名の国文学者が知識のかぎりを尽くして夏目漱石(1867~1916)作品を語り合われたのです。
『文学論』から『明暗』までの全15冊が対象。
その語り合いですが、書中、幾度となくご自分たちの行為を「深読み(pp.60)」と反省なさるぐらい、深読みの嵐でした。
たとえば、
夏目漱石 著『草枕』(1906年)
だれもが知る上記名作を論じた章においては、
石原 最後に絵が完成するところ、「『それだ! それだ! それが出れば画になりますよ』と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云つた。余が胸中の画面は此咄嗟の際に成就したのである」とあります。これはあたかも那美さんの問題のように理解されることが多いと思う。だけど僕の読みはそうではなくて、この時、第三者の客観的な立場から抜け出て絵のなかに入ったのは画工のほうだと思う。つまり、『草枕』は非人情の旅に出た画工が、世の中から一歩退いて世の中を見るのはもうだめなんだ、那美さんと一緒に絵のなかに入らなければ美的な生活は営めないんだという結末だと僕は思っているのです。
小森 でも、画工は那美さんの振る舞いを誘惑として見ているわけですよね。
石原 誘惑で構わないと思うんです。ただし、「私と一緒に絵のなかに入りなさい」という誘惑だと思う。「非人情」を生きようとする画工に、「そういうことではいけませんよ」と、那美さんが画工を教育する話だと。
小森 私は逆に、「非人情ではいけませんよ」と那美さんは言っているのではなくて、「あなたの言う非人情を本当に実現するのだったらこうですよ」と言っていると思う。
石原 もうちょっと説明してください。
小森 地震が起きるでしょう。あのときに相手の鼻の息がかかって口づけしそうになる距離までいって、それで那美さんが「非人情ですよ」と言うわけです。那美さんは画工のなかにある男女観、長良の乙女伝承をひっくり返すように、二人の男に引き裂かれてなぜ女のほうが自殺しなければいけないのか、自分は男二人両方を男妾(おとこめかけ)にしてやると言い切る。常識的な今までの神話にある男と女の関係を全部くつがえしていくわけです。それが那美さんの画工に対する教育だと私は思うのです。(後略)(pp.95)
『なぜ漱石~』は、全編こうした感じで、もっと当時の時代背景を交えた考察もありました。
博引旁証、論旨明解、眼光紙背に徹する著者たちです。
おふたりによれば「漱石は裏のコードを解読してくれる読者用の書き方を晩年までやっていた。(中略)『わかるよね?』という目配せをして(pp.70)」とのこと。
わたしは夏目漱石ファンであると自任していたものの、「裏のコード」の存在に気づいてなどいなかった、低レベル読者に過ぎませんでした。
さきほどの『草枕』にしても、わが愛読書のひとつで、過去5回以上は読み返したはずなのに、両氏がつまびらかにされた裏コードは想像すら不能。
わたしに似た迂闊(うかつ)なファンは少なくないと思われます。
石原氏と小森氏は、明治の文豪が仕掛けた裏コードをどんどん発掘してくださる代表的学者なのでしょうし、深読みこそが発掘なさるための手段でした。
おふたりにおかれては今後も深読みをつづけられ発掘作業を完遂していただきたいと祈念申しあげます。
金原俊輔