最近読んだ本528:『朝日新聞政治部』、鮫島浩 著、講談社、2022年

上掲書は、元・朝日新聞記者の鮫島氏(1971年生まれ)による、ご自身のミスが原因の「『吉田調書』事件(pp.269)」を解説した、「『失敗談』の集大成(pp.19)」です。

「吉田調書」とは、2011年の東日本大震災で生じた福島第一原子力発電所事故を受け、政府がおこなった吉田昌郎所長(1955~2013)への事情聴取記録のこと。

そして「吉田調書事件」は、

第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。(pp.216)

こう報道した朝日新聞2014年5月20日の記事が「多くの東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与える(pp.248)」うえ、「混乱のなかで待機命令に気づかないまま第二原発へ向かった所員もいたとみられる(pp.218)」ため、「誤報と断定(pp.14)」された事件です。

当該記事により広がる朝日新聞社内の波紋、著者の転落、職場での人間関係の変容が、『朝日新聞政治部』でつぶさに描述されました。

事件の当事者が執筆した打ち明け話であり、告発の要素も含み、全編にピンと緊張感が漲(みなぎ)っています。

では、読了したわたしが鮫島氏に共感だの同情心だのを抱いたかというと、まったく抱きませんでした。

抱かなかったたくさんの理由のうち、おもな3点を記します。

まず、1点目。

鮫島氏の記事のせいで第二原発へ退避した650名の福島第一原子力発電所所員たちの名誉が毀損されたのに、氏は書中その件を反省する言葉をきちんとお書きになっておらず、発電所や関係者の皆さまにお詫びに行った形跡もありません。

やりっぱなしで責任を取らない人のようだと、あきれました。

2点目は、書き写すだけで不快になってくるのですが、

松田さんが私とY記者を呼び出した。「最後にもうひとつ印象に残る仕事をしよう。アイデアがある」と切り出し、こう続けた。
「横田めぐみさんを探そう!」
拉致被害者の横田めぐみさんの消息を追うというのである。週刊誌出身の松田さんらしい発想だった。「横田さんが見つからなくても、記者が必死で追いかける過程を記事にすれば読者はきっと読んでくれる」という。読者目線に徹する松田さんの「テーマ設定力」から学ぶことは多かった。(pp.127)

松田さんの発想にも、発想を肯定的に評価する著者にも、拉致被害者のかたがたおよびご家族たちに対する配慮が欠落しています。

「読者目線」とやらはあるかもしれないいっぽう被害者側目線はなく、まんいち引用文を横田めぐみさんのお母様がお読みになった際、めぐみさんを本気で心配しているわけではないニュアンスや「横田さんが見つからなくても」という無礼な文章などに傷つき、悲しまれることでしょう。

心配になりました。

3点目。

鮫島氏の失敗に連座し朝日新聞社から重い処分を受けたある先輩は、鮫島氏に向かい「僕は必ず復活する。だからそれまでは我慢してほしい(pp.260)」と語ったそうです。

ただ、しばらく経っても、

復権の兆しはなく、彼自身に復権へのパッションも感じなかった。(pp.274)

わたしだったら、プライベートな状況における自分の発言を実名つきで暴露してほしくないですし、「復権の兆し」がないと書かれた場合「失礼な」と憤慨するかもしれません。

以上、鮫島氏には他者への畏敬が深刻なほど不足しており、奥様に「傲慢罪よ!(pp.16)」と非難されるのは当然と思いました。

他にもまだまだ本書への異議は尽きないものの、すでにコラムが随分長くなりましたから、この辺でやめておきます。

ひとつ、別の話題を……。

吉田氏は初任地の福島支局で手がけた県知事を巡る汚職事件取材で新聞協会賞を受賞したことで知られる、朝日新聞を代表する記者だ。(pp.114)

これは、

吉田慎一 著『木村王国の崩壊:ドキュメント福島県政汚職』、朝日新聞出版(1978年)

20代の頃に読み、吉田氏の丹念な取材に舌を巻きジャーナリズムの影響力を嘆賞した作品です。

もはやわたしの手元にありませんが、一瞬、書籍それ自体に加え、あの時代の雰囲気をも想起して、懐かしさに浸りました。

金原俊輔