最近読んだ本529:『ロシアよ、我が名を記憶せよ』、八木荘司 著、新潮文庫、2022年

明治時代の海軍軍人、広瀬武夫中佐(1868~1904)。

日露戦争の最中に戦死した人物です。

わたしは彼のことを、

司馬遼太郎 著『坂の上の雲』、文藝春秋(1972年)

で、初めて知りました(子どもだったころ、今は亡き父が講談風に語り聞かせてくれた記憶がうっすらあります)。

以後、

島田謹二 著『ロシヤにおける広瀬武夫』、朝日選書(1976年)

江藤淳 著『海は甦える』、文春文庫(1986年)

櫻田啓 著『広瀬武夫:旅順に散った「海のサムライ」』、PHP文芸文庫(2010年)

3冊を読み、広瀬に関する知識を深めました。

引きつづいたのが、今回の『ロシアよ、我が名を記憶せよ』。

広瀬とロシア海軍コヴァリスキー中佐の娘アリアヅナとのロマンスを主軸に置き、背景として、日露戦争にいたるまでの日本側の情報収集、日本がひそかにおこなったロシア第一革命支援、開戦したのちの日露両国の攻防が、描かれています。

広瀬・アリアヅナの恋は、

ウィリアム・シェイクスピア 著『ロミオとジュリエット』(1595年)

この名作に出てくるふたりの恋愛にそっくりです。

ただ、『ロミオとジュリエット』が家同士の軋轢に巻き込まれた男女の悲恋譚であるいっぽう、広瀬とアリアヅナの場合は国家間の対立で離れ離れになってしまったわけですから、ロミオたちの話よりスケールが大きいといえるでしょう。

スケールの大きさのみならず、物語ではなく実話であるところに、後世のわれわれが心を動かされるポイントが存します。

さて、1904年(明治37年)2月、ロシア太平洋艦隊が旅順港に集結したものの、

ロシア側は太平洋艦隊を丘陵に囲まれた奥深い港内に温存し、本国からの増援の艦隊を待つことに決した(後略)。(pp.203)

これを受け、

敵が出てこないのであれば、港の出入り口を封鎖して閉じこめてしまうしか手がない(後略)。(pp.203)

有馬良橘中佐が如上の作戦を提言し、提言が通った結果、帝国海軍は作戦遂行のための決死隊を募りました。

容易に敵の標的となってしまう、まるで生還が望めない任務です。

広瀬は有馬に請われ決死隊に志願。

後輩の加藤寛治砲術長が、

「有馬中佐がわたしではなく、廣瀬さんに声をかけた理由はわかるんです。あなたは異国の女性も惚(ほ)れる男らしい男だ。あなたが起(た)てば、若い者は皆こぞってついてくる。そこを有馬さんは見込んだんです。しかし、そんなことに乗せられてはなりません」(pp.206)

こう述べて広瀬を諫(いさ)めます。

けれども当人は耳を貸さず、「死を覚悟して(pp.262)」2度にわたる封鎖活動に参加、2度目のとき砲撃に遭い、命を落としました……。

指揮官廣瀬少佐の戦死を証するものは、山本機関兵の近くに飛び散って残っていた頭部の小さな肉片だけだった。(pp.259)

彼は最愛のアリアヅナに手紙をのこしており、手紙の全文が本書263ページに転載されています。

凛々(りり)しさ、哀しみ、に満ちている、としか言いようがない文面でした。

手紙は日露戦争終結直後、ロシアの「2、3の新聞にその全文が出た(pp.284)」らしく、

ロシアの民衆が先に、廣瀬武夫の愛と死と国に殉ずる心を知った(後略)。(pp.284)

戦争や政治のせいで引き裂かれた恋人たち夫婦たちは、世界に無数にいらっしゃるでしょう。

2022年現在もそんな様相を呈している幾多の国・地域のことが脳裏に浮かんできます。

つらい現実です。

愛する人が敵国または自国に奪われたりしない社会状況を、平和と呼ぶのかもしれません。

金原俊輔