最近読んだ本544:『司馬遼太郎の時代:歴史と大衆教養主義』、福間良明 著、中公新書、2022年

歴史小説家・司馬遼太郎(1923~1996)が発表した作品を、彼の経歴や存命中の社会背景に照らし合わせながら解説した本です。

なぜ多くの作品が読者に受け入れられたのか、作品において不十分だった点は何か、に関し精査がなされました。

福間氏(1969年生まれ)は、歴史社会学およびメディア史を専門としていらっしゃる立命館大学教授。

まず、司馬の小説がつぎつぎベストセラーになった理由として、以下のことを指摘なさっています。

サラリーマン層を司馬作品が読者として獲得してきたこと(後略)。(pp.185)

電車・バスの車内で読むことになりがちだった。(中略)乗り換えや下車のために短時間で本を閉じなければならないサラリーマンたちにとって、細切れの読書を可能にするものであり、その通勤スタイルに適していた。(pp.177)

わたし自身、サラリーマン時代の出退勤の折、まさしく電車のなかで司馬の本に接していたので、膝を打って納得させられるご説明でした。

2番目に、司馬の作品で不十分だった点は何なのか?

司馬の長編では総じて「歴史上の偉人」が取り上げられた(後略)。(pp.212)

司馬の明治像は、女工哀史や秩父困民党の農民たちを捨象(しゃしょう)して成り立つものでしかない。(pp.129)

要するに、歴史に名をのこした人々をあつかった物語ばかり、というわけです。

かかる批判は昔から存在しました。

あながち的外れではないでしょう。

とはいえ、当方の事情を述べると(たぶん、ほとんどの読者も)疲れ果てて帰宅する電車のなかで『女工哀史』をひもとく気力などなく、英傑の話を読んでワクワクしたかったのです……。

なお福間氏は、この件について司馬をきびしく追及なさってはおらず、おもに歴史学者たちが発した論難を紹介するにとどめていらっしゃいました。

わたしが好きな作家を、敬意を込めつつ語ってくださり、感謝です。

『司馬遼太郎の時代』で少々残念に思ったのは、福間氏が司馬の小説のみに比重を置かれ、エッセイや紀行に触れておられなかったところ。

わたしは司馬をエッセイ・紀行文の名手と考えていますので、ぜひ検討していただきたかったです。

検討しさえすれば、司馬の『街道をゆく』シリーズには日本史を動かした有名人ではない老若男女も多数登場した、つまり、学者たちによる『女工哀史』云々の糾弾は小説群にしか目を向けていない糾弾に過ぎない、このような反論が成立したのではないでしょうか。

金原俊輔