最近読んだ本556:『対論 1968』、笠井潔、絓秀実 共著、集英社新書、2022年

笠井氏(1948年生まれ)は、わたしにとって和光大学の先輩にあたるかたで、お会いしたことこそないものの、氏の論壇や文壇におけるご活躍を誇らしく受けとめています。

絓氏(1949年生まれ)に関しては、つねづね、その桁外れな読書量に感服しておりました。

ご両所は「全共闘(全学共闘会議)(pp.15)」の経験者・元活動家でいらっしゃり、『対論 1968』にて往時を回顧。

話題を「60年安保闘争(pp.24)」よりスタートさせ、学生運動が活発化した1968年つまり昭和43年の「原子力空母寄港阻止闘争(pp.59)」「東大や日大の全共闘(pp.3)」運動などについてじっくり意見交換、そしてそれ以降現代にいたるまでの多様な事案を俎上にのせた議論もなさいました。

たとえば、

笠井  東大以外で最初に組織的に暴力(ゲバルト)を仕掛けてきたのは和光大学で、ノンセクトが民青に袋叩きにされた。(pp.57)

上記の騒ぎがあったことは和光在籍中に聞きましたが、騒ぎから10年ほどのちに入学したわたしらの時代には同大は結構おだやかな大学となっていて、折節小さな衝突が生じる程度でした。

さて、本書を読み進みつつわたしが想起したのは、

筒井康隆 著『大いなる助走』、文藝春秋(1979年)

で描かれた、文芸同人誌のメンバーたちによる合評会です。

外の世界とほぼ無関係な価値観が幅を利かしていたり、仲間うちだけでしか通用しない言葉がつかわれたり、といった点が似ていて……。

こんな失礼な感想を記したのは、『対論~』書中で熱く語られた学生運動がかならずしも「大衆運動(pp.238)」「大衆蜂起(pp.59)」ではなかった可能性があるためです。

というのは、

鹿島茂、福田和也、松原隆一郎 共著『本日の論点・1』、飛鳥新社(2006年)

によれば、

鹿島  全共闘イコール団塊の世代ではないということです。僕の感覚では、本当に全共闘だったのは、最大限に見積もっても、全世代の1パーセントぐらいじゃなかったかと思いますよ。(鹿島・福田・松原 書、pp.179)

わりと(同人誌の雰囲気に類似した)「コップの中の嵐」だった模様なのです。

あまり民意が反映されていません……。

だとすれば、1960年「日米安全保障条約」改定に反対するデモ隊が国会を包囲したときの、岸信介総理の「銀座や後楽園球場では今日も人が溢れている」的な発言は、穿(うが)ったセリフであったと見なせるのではないでしょうか。

当時、子どもだったわたしは何ら持説を有していなかったのですが、次第に、第二次世界大戦後の日本の平和は安保のおかげであり、だから改定は賛成、もしどうしても破棄する場合、自国を独自防衛する軍備を増強しなければならない、と思うようになりました(アメリカ合衆国がどこまでわが国を守ってくれるのか不明なので、たとえ安保があっても同盟関係を結んでいても、有事に備えしっかりした軍備をもたなければならない、いまはこう考えています)。

おふたりも、この件では、

笠井  憲法9条の「平和主義」は日米安保と絶妙の相互補完関係にあって、「安保なき9条」なんてありえないぐらいのことは、心ある左翼にはかなり早い時期から認識されてた気がするんだけど、違うのかな?

絓  普通に考えて、9条によってではなく日米安保によって戦後の「平和」が保たれてきたのは、まあ常識であるはずでしょう。(後略)(pp.188)

ご所懐が管見に近いみたいでした。

ところで、

笠井  このままいけば(中略)日本は産業的に没落しきって、外国に売るものは何もなく、中国人の観光地・別荘地になり、日本人はその別荘番とか掃除人としてどうにかカツカツで食っていく、極東の遅れた貧しい国になる。そんな数十年後の日本の姿が、もう見えている。(pp.203)

ないとは言えない恐ろしい予想です。

われわれ日本人はそうした事態を迎えないような工夫・努力を孜々汲々(ししきゅうきゅう)とおこなわなければなりません。

金原俊輔