最近読んだ本561:『太陽の男 石原慎太郎伝』、猪瀬直樹 著、中央公論新社、2023年
過去、卒読した猪瀬氏(1946年生まれ)の著書は、一冊だけです。
猪瀬直樹 著『ミカドの肖像』、新潮文庫(1992年)
力作でした。
その後は氏の作品を手にする機会がなく、ただ、当方、石原慎太郎(1932~2022)に淡い敬意を抱いていて、石原が東京都知事だったころ猪瀬氏は副知事でいらっしゃいましたから、なにか耳新しい話に遭遇するかもしれないと考え、『太陽の男~』をひもときました。
読み終えた感想を申しますと、ところどころに意味が定かではない文章があり、突っ込み不足な箇所とてあった、少々完成度が低い評伝でした。
三島由紀夫(1925~1970)に関する記述も多すぎます。
では、意味が定かではない……、わたしがこんな印象を受けた文章を例示しましょう。
猪瀬氏は石原と三島の意見の相違を解説しつつ、
二人の間には初めから溝があった。動的な「拳闘」と静的な「ボディビル」、もともと相容れないはずなのだ。(pp.246)
引用文、石原が拳闘を、三島がボディビルを、していたかのようなニュアンスになります。
しかし拳闘やボディビルをおこない世間の評判になっていたのは三島であり、石原のほうは(拳闘家が出てくる小説は書いたものの)拳闘を象徴するような人物ではありません。
2番目に、突っ込み不足な箇所。
石原慎太郎にとって日本とは「日本列島」そのものなのだ。それを囲む「海」なのだ。(pp.240)
猪瀬氏の鋭いご指摘と認めたいいっぽう、上記をお書きになったのなら、石原が東京都知事を務めていた2012年(平成24年)に「東京都が(沖縄県の)尖閣諸島を購入する」と表明した件へと結びつけてみるべきだったのでは?
書中、おもしろい箇所もありはしました。
たとえば、石原は、
石原慎太郎 著『太陽の季節』、新潮社(1956年)
で、洛陽の紙価を高めたわけですが、同作品に対する遠藤周作(1923~1996)の厳しい批判のご紹介は興味ぶかかったです。
また、芥川賞受賞に関して、石原が他の小説内で述べたという、
「しかし、もし芥川賞を受賞出来ず、もの書きとして船出も出来ずにいたら、(中略)どんなことになっていたろうかとは思う。思うだけでぞっともする」(pp.86)
本音の吐露、聞けて良かったと思いました。
偶然だが五木寛之の誕生日は、石原慎太郎と同年同月同日、昭和7年(1932年)9月30日であり、(後略)。(pp.20)
こうした豆情報も捨てがたく感じます。
金原俊輔