最近読んだ本592:『直木賞をとれなかった名作たち』、小谷野敦 著、筑摩書房、2023年

1935年(昭和10年)に始まり、現在まで毎年2回ずつ、名作と見なされた「大衆文学の長篇または短篇集(pp.15)」の作者に贈呈される直木賞。

上掲書は、同賞受賞をなしとげられなかった作家や作品のうち、小谷野氏(1962年生まれ)が個人的に高評価しているものを選出した文芸評論です。

全4章で構成されており、各章内に立てられた項は計107項、つまり氏は107名の文学者たちの著作について解説なさったわけですが、ひとつの項ひとつの小説ではなく、一項で何作もの小説をあつかわれました。

「阿川弘之『春の城』1952(pp.49)」項を例にとると、

阿川弘之(1920~2015)といえば、元海軍で、『山本五十六』とか『井上成美』とか海軍軍人の伝記を書く作家で、(中略)のちに伝記『志賀直哉』を書いた(後略)。(pp.49)

こうまとめられたのち「中公文庫に『山本元帥! 阿川大尉が参りました』というのがあって(pp.50)」「『魔の遺産』のような作品も書いている(pp.50)」「『国を思うて何が悪い』というカッパブックスのハードカヴァーも読んだ(pp.51)」「『ぽんこつ』とか『犬と麻ちゃん』のような通俗小説を書いて(pp.51)」……他作をどんどん付加していらっしゃいます。

かくも情報満載な107項目のほか、「エピローグ:あえて入れなかった作家たち」では17名の作家を語り、41箇所あった「コラム」欄でさらに別の作家たちにも触れられており、ご専門とはいえ、氏の無尽蔵な読書量に驚かされました。

わたし自身がどの程度読んだかを、項のタイトルになっている作品と比較させてもらいます。

獅子文六 著『悦ちゃん』(1938年)
坪田譲治 著『風の中の子供』(1938年)
太宰治 著『女生徒』(1939年)
田中英光 著『オリンポスの果実』(1940年)
大岡昇平 著『俘虜記』(1949年)
高木彬光 著『刺青殺人事件』(1951年)
西村京太郎 著『天使の傷痕』(1965年)
森村桂 著『天国にいちばん近い島』(1966年)
筒井康隆 著『脱走と追跡のサンバ』(1971年)
星新一 著『祖父・小金井良精の記』(1974年)
有吉佐和子 著『複合汚染』(1975年)
西村寿行 著『老人と狩りをしない猟犬物語』(1981年)
赤川次郎 著『ヴァージン・ロード』(1983年)
堺屋太一 著『豊臣秀長』(1985年)

107冊ある中、たった14冊。

1986年以降はゼロでした……。

それでは内容に入ることとしましょう。

まず、星新一(1926~1997)の項で、小谷野氏がどんなご意見を述べていらっしゃるかを見てみます。

大学生のころ、機縁があって『未来いそっぷ』を読んでみたが面白くなかった。のちに「ボッコちゃん」など初期の有名なものを読んでみたら、こちらも面白くなかった(後略)。
星には長篇の実録ものが三冊もある。『人民は弱し官吏は強し』(1967)、森鷗外の義弟を描いた『祖父・小金井良精の記』『明治・父・アメリカ』(1975)で、私は最相葉月の『星新一』で、星が直木賞をとれなかったと嘆いていたとあったのを聞いた時、この三冊のどれかで賞をあげたらよかったのにと思った。(pp.102)

おや?

星新一 著『明治の人物誌』、新潮文庫(1998年)

をお忘れです。

「長篇の実録もの」じゃなく短篇を集めた伝記ですけれど、佳作でしたよ。「最近読んだ本76」

つぎに、懐かしく感じられたのが赤川次郎(1948年生まれ)の『ヴァージン・ロード』。

小谷野氏はこれを「赤川の非ミステリーの秀作(pp.136)」とし、

直木賞向きの作品として推しておく。しかしこれも、かなり古風な、今でいえば「昭和」の恋愛小説である。(pp.136)

昭和時代に書かれた恋愛小説ですので「『昭和』の恋愛小説である」というのは必然なのではないでしょうか?

それはさておき、『ヴァージン・ロード』の出版は、1983年(昭和58年)。

当時、ひとり暮らしのサラリーマン、結婚にあこがれ、赤川ファンだったわたしにとって、ぜひ読みたいラブストーリーであり、本書が勤め先近くの「丸善」お茶の水店に並ぶやすぐさま購入しました。

主人公・叶典子の物腰の柔らかさを好ましく思い、話の展開が奇をてらっていなかったため大らかな気分で読み進め、最後のページを閉じたとき静かな感動に浸ったものです。

以上、ここまで書きつつ、わたしは今回の書評執筆をとても楽しんでいることに気づきました。

ある小説を読む、読み終えた小説のあらすじやエピソードを反芻する、後年、小説を読んだ頃の自分の人生を振り返る、これは多くの人たちに共通している喜びだからでしょう。

もうひとつの読書の代表的喜びは、

私は読んだ当時そのことを知らなかったので、余計感銘が深かったともいえるが、そういう、知らなかったことをある本を読んで知った喜び(後略)。(pp.171)

金原俊輔