最近読んだ本632:『怪物に出会った日:井上尚弥と闘うということ』、森合正範 著、講談社、2023年
プロボクサーの井上尚弥選手(1993年生まれ)。
2024年2月現在までに、世界ライトフライ級王者、世界スーパーフライ級王者、世界バンタム級4団体統一王者、世界スーパーバンタム級4団体統一王者、となられました。
「モンスター(pp.23)」の異名で知られています。
上掲書は、井上選手のお力が桁外(けたはず)れであり、そのため、彼と闘って敗れた選手たちが敗北を悔やむどころかむしろ満足している、そんな逆説的状況を紹介するノンフィクションでした。
日本人選手4名および外国人選手7名が著者(1972年生まれ)のインタビューを受けてくださっており、ボクサーが対戦相手を敬う、これぞスポーツマンシップとも言うべき清々しい雰囲気の中、たくさんの逸話や感慨が述べられています。
まず、彼らがこぞって口にする井上選手への賛辞。
田口良一選手(1986年生まれ)は、
左ジャブが飛んでくる。しっかりとガードで受け止めた。だが、あまりの重さに驚いた。ハンマーで殴られたような、これまで感じたことのない鋭さと重みのあるジャブだった。2階級上げる井上のパワーは明らかに増していた。(pp.111)
アルゼンチンのオマール・ナルバエス選手(1975年生まれ)も、
「井上は2階級下の選手だろ。だからスピードはあるが、パワーはないと思っていたんだ。だけど、逆だった。びしびしとパワーが伝わってきた。一気に2階級上げた選手にパワーがあるなんて驚きだよ。試合を決定づけたのは彼のパンチの強さだと思う」(pp.190)
フィリピンのワルリト・パレナス選手(1983年生まれ)。
「井上のパンチはとてもとても速かった。とてもとても重いパンチだった。これまでのボクサーとは明らかに違う。初めての経験だね。(後略)」(pp.249)
2番目に、それほどまでに凄いからなのでしょうが、多くのボクサーたちにとって井上選手と相まみえること自体が誉れである模様です。
佐野友樹選手(1982年生まれ)の場合、
拳を交えた井上に伝えたいことがある。
「試合をしてくれてありがとうございました。誇りに思っています。こんな凄い選手と試合ができて良かった。(中略)一生、忘れられません」(pp.81)
既出の田口選手のご体験は、
「知り合いから人を紹介されて『初めまして』の場面があるじゃないですか。元世界チャンピオンです、と言ったら『凄い』となるんです。でもね、その後に『井上尚弥と判定までいったんですよ』と言ったら、もっと驚かれるんです。世界チャンピオンより上なんですよ」
世界王座より上の箔を得た。(pp.122)
最後に、井上戦を経て、燃え尽きたボクサーもおられました。
全12ラウンド闘い、判定負けを喫した、メキシコのダビド・カルモナ選手(1991年生まれ)です。
井上とフルラウンド闘ったことによって、充足感を得てしまった。到達すべきは世界チャンピオンだったはずが、「世界を驚かせた。井上とやりきった」と満足してしまった。(中略)頭の中で多くを占めてきたボクシングの割合が徐々に少なくなっていく。(pp.290)
以上、『怪物に出会った日』では井上選手ご本人の発言記述は最小限に抑えられており、他の人びとが井上選手のことを入れ代わり立ち代わり語るため、なんだか同選手は霧の奥に潜む不気味なモンスターであるかのような印象につながりました。
ところで「日本ボクシングコミッション(JBC)」の本部事務局長は、こう主張なさっています。
「ある意味、一人のボクサーが時代、業界を変えちゃうんだから稀有な怪物です。井上選手ほど、ボクシングそのものを変えた人はいないんじゃないですか」(pp.431)
現在進行形で「時代、業界を変え」ている邦人アスリートとして、もうひとり、プロ野球メジャーリーグの大谷翔平選手(1994年生まれ)の雄姿が脳裏に浮かんできます。「最近読んだ本578」
井上選手・大谷選手は同じ世代。
おふたりが活躍をつづけ、前人未到の記録・業績を残し、そのスポーツの代名詞、そのスポーツにおける「GOAT(史上最高)」と称される有終を願ってやみません。
金原俊輔