最近読んだ本652:『黄金の刻:小説 服部金太郎』、楡周平 著、集英社文庫、2024年

楡氏(1957年生まれ)は和光大学を卒業していらっしゃり、したがって、わが同窓生です。

ご本名は存じません。

1955年生まれである当方と世代が近いので、おそらく彼とわたしのどちらもが在学していた時期に学生食堂や喫茶室や図書館ですれ違ったりしたのではないでしょうか?

そのように縁ある人物が経済小説家として活躍しておられることをわたしは嬉しく思っています。

しかし、過去、氏のご著作に接する機会はなく、今回の『黄金の刻』が初めての読書体験となりました。

物語の主人公は「セイコーグループ」の創業者・服部金太郎(1860~1934)。

徒手空拳で会社を興し、自社を大手時計メーカーに育てあげた、名経営者です。

本書において記されていた話のどこまでが実話で、どこからが虚構なのか、わたしには判断できないものの、ほとんどが事実であると仮定した場合、金太郎は勤勉で人情味にあふれ、先見の明および臨機応変な対応力を備えていた模様。

小学生だったころ、わたしは社会科の授業で「時計はスイス」と教わった記憶があるのですが、日本の時計産業はいまや世界トップ集団の一角を占めています。

そんな躍進を牽引したのがセイコー社であり、『黄金の刻』は同社の順風満帆と言って良い成長を活写する内容でした。

書中、参考となるエピソードが多く、たとえば、服部金太郎の知己で官僚だった龍居頼三(1856~1935)が金太郎に説諭した言葉、

「わしらの世界ではな、自分が上からどない見られてんのか、どない思われてたんか知るのは、異動の時やねん」
「そりゃそうでしょうね。栄転なら高く評価されて……」
「ちゃうちゃう。そうやない。後釜(あとがま)が誰になるかや」
頼三は顔の前で手を振りながら、再び金太郎を遮った。
「後釜?」
「そら上役かて、できる部下はずっと手元に置いておきたいがな。他に出して、でけんやつが来たら困るしな。そやし、できる部下を手放さなならんとなると、そしたら誰をくれるっちゅう話になんねん。少なくとも同格、それ以上ならば文句なしちゅうわけや。そやし、後釜に来るやつを見れば、少なくともそいつと同程度の評価は受けていたっちゅうことが分んねん」(pp.274)

「なるほど」と、頷(うなず)かされます。

おもしろい本でした。

ただし、全体を通して、常套語・月並みな表現が多い気がします。

58年間の記憶が鮮やかに浮かんできた。(pp.18)

がっくりと落とした肩に(後略)。(pp.76)

「禍福はあざなえる縄のごとし……でしょうか?」(pp.127)

一国一城の主として(後略)。(pp.166)

いい時もあれば、悪い時もあるのが商売だ。(pp.170)

はっとして目を見開いた。(pp.233)

口元から白い歯を覗かせた。(pp.242)

……上記引用文のほぼ全部が重複して用いられたのです。

だからでしょうか、わたしは、同じく財界人を描いた小説である、

城山三郎 著『雄気堂々』、新潮社(1972年)

山崎豊子 著『華麗なる一族』、新潮社(1973年)

井上太郎 著『へこたれない理想主義者:大原總一郎』、講談社(1993年)

などに比べると、本書はすこし重みが不足しているように感じました。

金原俊輔