最近読んだ本662:『奏鳴曲 北里と鷗外』、海堂尊 著、文春文庫、2024年
北里柴三郎(1853~1931)と森鷗外(1862~1922)、ふたりの医学者を主人公に据えた歴史小説です。
著者の海堂氏(1961年生まれ)はご自作に関し、鷗外の言葉を援用しながら、
本作は衛生学や医療に関し「歴史其儘」、ふたりの物語は「歴史離れ」と言えます。(P. 435)
こう説明されました。
「歴史離れ」が含まれていることは全然構わないものの、ただ、本書は構成があまりよろしくなかったように思います。
たとえば、北里が明治天皇に「日本の医事について建言(P. 20)」をおこなうシーン。
すると、傍らに控えていた西郷が立ち上がる。(P. 21)
突然登場してきた「西郷」は、たぶん西郷隆盛(1828~1877)なのだろうと想像はつきますが、明言されていません。
まさしく西郷隆盛だったと分るのは、20ページほど読み進んだのちでした。
おまけに、書中、鷗外の部分だけ文章が一人称視点になったり三人称視点になったりしており、創作上のご工夫なのでしょうけれども、わたしには煩(わずら)わしかっただけで、有効な工夫だったとは感じられなくて……。
しかも、鷗外の話題の際に、
ザクセン軍第十二軍団の秋期演習に参加した。
娘を連れて演習を参観していた老貴族の古城がこの晩の宿だった。そこで見たイイダ姫を主人公にして物語「文づかひ」を、帰国後に書いた。(P. 119)
現在進行形の記述だったにもかかわらず、不意に「帰国後」なる未来の話が入ってきているのです。
時間が前後するこうした混乱は他の箇所でも散見されました。
ところで、本書の主なテーマは、北里・鷗外のライバル意識、そして脚気の深刻さおよび鷗外がおこなった脚気対策の大失敗です。
わたしは、北里と鷗外が本当にライバル意識を有していたのかどうか、あたかも有していたかのごとく「歴史離れ」的に書かれているのか、判断する材料をもっていません。
脚気にまつわる史実は知っており、
日清、日露の二度の大戦、その間の台湾戦役と北清事変では陸軍で脚気患者が多発し、病死者は戦闘死の十倍、発生した。(P. 365)
惨状を前に手をこまねいているだけの森「軍医総監・陸軍医務局長(P. 364)」の無能ぶりに改めて憤懣(ふんまん)をおぼえました。
この件、
俣野敏子 著『そば学大全:日本と世界のソバ食文化』、講談社学術文庫(2022年)「最近読んだ本539」
でも言及されていたのですが、海堂氏が医師でいらっしゃるだけに『奏鳴曲 北里と鷗外』の解説のほうが詳しく、それだけに読んでいて一層腹が立ちます。
鷗外は、
退役後、石黒閣下が貴族院議員に推薦してくれたが叶わず、男爵にもなれなかった。(P. 421)
当然でしょう。
金原俊輔