最近読んだ本669:『老いを読む 老いを書く』、酒井順子 著、講談社現代新書、2024年

酒井氏(1966年生まれ)が「文献レビュー」または「文献研究」と呼ばれる学術的手法を用いて本をお書きになった刻苦勉励を、わたしは、

酒井順子 著『百年の女:「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』、中公文庫(2023年)

の書評で労(ねぎら)いました。「最近読んだ本593」

文献レビューとは、ある事柄に関する過去のほとんどすべての資料を収集し吟味し何らかの傾向を見出そうとする研究方法です。

本邦の文芸界においては、

斎藤美奈子 著『妊娠小説』、筑摩書房(1994年)

斎藤美奈子 著『紅一点論:アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』、ビレッジセンター出版局(1998年)

斎藤美奈子 著『文章読本さん江』、筑摩書房(2002年)

などを発表された斎藤美奈子氏(1956年生まれ)が得意になさっているやりかたと言えるでしょう。

そして酒井氏ですが、今回の『老いを読む 老いを書く』で再度文献研究の成果をお示しになりました。

おそらく誰にとっても、おのれの老化は国の衰退よりも心配な問題であり、おのれの死は地球の消滅より深刻な事態であるはず。

それほど極大なテーマに挑(いど)まれたわけです。

氏は、まず「老いをテーマとした『老い本(ぼん)』(P. 3)」なる我流定義を提出なさり、つづいて、

老い本、および老い本の著者達を検証することによって、日本の高齢者、および高齢化の今と今後が見えてくるのではないか。……と思っている私も、高齢者の範疇(はんちゅう)に入るまであと10年を切っている。そう遠くないうちにやってくる高齢者としての日々に備えるためにも、老い本の世界を探っていきたい。(P.9)

こうした執筆動機を語られました。

当コラム「最近読んだ本」の「人生論」タグを開いていただくと明らかなとおり、前期高齢者のわたし自身、老い本をあれこれ読んできています。

しかし、そんなわたしが圧倒されてしまうほど、酒井氏は多数の老い本に接していらっしゃり、そのうえで軽快かつ深遠な考察を展開なさいました。

以下、『老いを読む~』の溢れんばかりに豊富な話題の中から、おもしろい箇所をひとつ選びます。

曽野綾子氏(1931年生まれ)と石原慎太郎氏(1932年~2022年)が「曽野は89歳、石原は88歳(P. 200)」だった2020年におこなった対談。

曽野は、所有という行為についても、恬淡としている。それまで書いてきた原稿は全て燃やした、と曽野が言うと、「僕は残したいですね」と石原。(中略)
また曽野は、長生きを望んでなどいないし、60歳ぐらいからは健康診断も受けていないと語るのに対して石原は、朝起きたらまずタワシで全身をこすり、その後は様々なトレーニングを日々行っているという。(中略)
両者の感覚はことごとく交わらない。

石原「決してあきらめず心身を鍛え続けていこうと思っていますよ」
曽野「抗わないことに慣れるのも、楽ですよ」
石原「だから慣れたくはないんだ、僕は」
曽野「お気の毒」

という対話は、ほとんどコントである。(P. 200)

わたしは曽野ファンでこそないものの、ご加齢をきっかけに私物を処分なさったり、健康診断は拒否したり、という行動パターンに自分との類似性を感じます。

それはさておき、本書のページを繰ってゆくさなか、お釈迦さまの言葉である「四苦(生・病・老・死)」およびキリスト教で重視されている「メメント・モリ(死を想え)」が、こちらに向かって剛速球のごとく飛んできました。

四苦に思いをはせる意義やメメント・モリの大事さは年齢には無関係。

つまり『老いを読む~』は、わたしみたいな高齢者に限らず「その予備軍の方々(P. 225)」にも、予備軍どころかもっと若い人たちにも、価値ある内容を有しているのです。

金原俊輔