『新聞社崩壊』、畑尾一知著、新潮新書、2018年。

朝日新聞社ご勤務だった著者(1955年生まれ)による、一種の「新聞論」です。

新聞論ではありましたが、記事・社説・特集などについて考察しているわけではありません。

経営や販売に関する内容でした。

著者の問題意識は明確で、

今の新聞社は薄氷の上を渡るソリのようである。ソリの水没は避けられないものなのだろうか。(pp.190)

つまり、新聞各社が経営難を迎えている中、どうやって生き残りを図るか、というテーマだったのです。

経営・販売を語る本であったことは、

新聞の販売に携わった私のような人間は「マイナーな存在」とも言えるが、だからこそ新しい視点やトピックを提供できるものだと考えている。さらに言えば、新聞業界の大きな問題のひとつが販売に関わるものであり、その経験を活かして論を展開していきたい。(pp.4)

このように冒頭できちんとお断りになられているので、何の不満もおぼえませんでした。

もうすこし、新聞が読まれなくなるというのは日本人の民度そして日本文化に悪影響をおよぼしかねない事態である、旨の懸念を訴えてほしかった気もちは残りますけれども……。

さて、2005年に5千万人だった新聞の読者数は、2015年、3700万人にまで減少したそうです。

ほんとうに危機だといわざるを得ません。

畑尾氏は新聞社の危機状況を分析し、要因として、ふたつの視点を提供されました。

ひとつは、

① 値段の高さ
② 記事の劣化
③ 新聞社への反感(pp.5)

であり、ふたつめは、

その要因は、デジタル化の加速、人口減少、勤労者の実質可処分所得の減少、年金生活者の社会保障関連収入の減少など、(後略)。(pp.20)

です。

わたしには、前者のほうはピンときませんでした。

後者はよくわかり、若い世代がスマホに依存する「デジタル化の加速」がとりわけ大きな打撃なのではないか、と想像します。

どうすればよいのか?

著者は第6章「復活のための改革案」で斬新なアイデアを複数述べられました。

ただ、引用したひとつめ・ふたつめの要因に(逸脱しているとまではいわないものの)それほど密着したご提案ではなく、やや拍子抜けしました。

ところで、

もともと人間には、「自分と異なる意見は聞きたくない」という傾向がある。「エコー・チェンバー」という言葉があるように、パーソナル・メディアとしての性格が強いネットの発展がそれを増幅した。(pp.204)

お言葉を返すようですが、これはエコー・チェンバーというより「認知的不協和の軽減」でしょう。

認知的不協和の軽減とは「人における、自分が不快にならない情報を入手したがり、不快になる情報は回避しようとする傾向」を意味する心理学用語です。

認知的不協和の働きの結果、たとえば「ネトウヨ」的な人々は、日本をほめるネット記事、日本人であることが誇らしくなるネット情報に、進んで触れようとするのです。

以上を新聞の世界にあてはめて眺めてみると、右派は『産経新聞』を購入し、プロ野球・巨人軍ファンならば『スポーツ報知』紙を選び、AKB崇拝者は『AKB48グループ新聞』を好む、読者たちのこうした行動が説明できます。

だとしたら、これからの新聞は読者層の求めにストレートに応じる紙面構成へと変わることが、販売促進のための工夫になるかもしれません。

まずは若者の好みを調べあげ、彼らの認知的不協和に対応してみるべきではないでしょうか。

わたしにとって新聞は必需品です。

新聞が大好きなのです。

なくなってしまったら困るので、各社のご健闘を祈念いたします。

金原俊輔