『「セクハラ」と「パワハラ」野党と「モラハラ」メディア』、藤原かずえ著、ワニブックス、2018年。

学問に「メタ分析」という研究法があります。

別の表現は、メタ・アナリシス。

すでに発表されている学術分析を満遍なく収集し、集めた分析をさらに総括的に分析する……、つまりは「ワンランク上の分析」を意味しています。

心理学も重視する研究法です。

本書は、2018年の「財務省セクハラ事案」にまつわる各政党やマスメディアの主張を俯瞰したうえで、一段高い視点から独自の主張を展開した、あたかもメタ分析論文であるかのような内容でした。

分析をおこなうにあたって著者が駆使した武器は「論理性」。

「女性の活躍推進・働き方改革というのなら、次官・財務大臣はセクハラを認めるべき」という言説における前提と結論には論理の飛躍があります。あえて言わせていただければ、このような不合理極まりない女性国会議員が、あたかも女性を代表しているかのように映るため、いつまで経っても女性は頭が悪いと思われます。(pp.174)

これは、尾辻かな子衆議院議員(立憲民主党)の発言において、前提と結論のあいだにつながりがなく論理が破綻してしまっている様態を、痛烈に批判した文章の一部です。

尾辻議員にたいしては、

自ら率先して言葉を言い換え、国民が誤解釈するという尾辻議員の主張は完全に破綻しています。麻生大臣のオリジナル発言を普通に聞けば、このような誤解釈をする余地はありません。そもそも、マスメディアが言説の一部分だけをわざわざ切り取ることで、コンテクストを消し、大衆の誤解釈を促した側面もあります。
このような低次元の議論は、国民にとって不要であり、法案を論理的に審議するという国会の本質的なあり方を大いに歪めるものです。(pp.244)

旨の追及もなさいました。

とはいえ、著者がおもにあげつらったのは、尾辻氏ではありません。

極めて問題なのは、「二次被害を恐れている」と口では言う古賀茂明氏・望月衣塑子記者(東京新聞)・柚木道義議員(当時希望の党)・杉尾秀哉議員(立憲民主党)が、女性上司と被害女性記者を特定することが可能となるような情報をそろって公の場で垂れ流したということです。(pp.187)

上記の面々であり、さらには「テレビ朝日」社の手前勝手な報道姿勢も槍玉にあげておられます。

たとえば、

柚木議員が「セカンド・レイプ」と誇張する二次被害を拡大させているのは、被害女性記者を特定する情報を流布している杉尾議員や古賀茂明氏です。ちなみにこの日の夜、柚木議員自身が被害女性記者の特定をさらに促す情報をSNSで流布することになります。まさに、言っていることとやっていることが180度違っています。(pp.145)

このように。

2018年4月に野党議員たちが「#MeToo」と書いたプラカードを掲げて行進した件に関しては、

法に基づき論理的に事案を批判する必要がある国会議員が、言論に依らずに、たった一日黒い服を着ることで抗議の意志を示すというのは、まったく次元が低過ぎます。(中略)
アメリカ議会での示威行為を形だけ真似したものであり、絶望的に安易で空虚なパフォーマンスに過ぎないものではないでしょうか。(pp.172)

意味不明なのは、#MeTooを掲げるところを「記者に見てもらわなければならない」という義務表現と、見栄えよく記者に写真・映像を撮らせるための打ち合わせを開始したことです。
これこそ#MeToo運動の政治利用に他なりません。(pp.175)

容赦なく切って捨てました。

わたし自身、「切って捨てられて当然の、無意味で愚かな活動だった」と考えます。

以上、『「セクハラ」と~』を読んだ結果、わたしは日本の野党やマスメディアがしばしば論理性を欠き、しかもそれを自覚・反省していない、という状況を認識できました。

論の進めかたに間然するところがない一冊でしたし、藤原氏の問題意識にも深い共感をおぼえました。

金原俊輔