最近読んだ本475:『平成史:昨日の世界のすべて』、與那覇潤 著、文藝春秋、2021年
若手歴史学者の與那覇氏(1979年生まれ)がまとめられた同時代史です。
平成期30年間があつかわれました。
西暦でいえば、1989年~2019年。
この30年のうち、上掲書では政治・文化の動きに紙幅が割かれています。
わたしは昭和62年(1987年)から平成9年(1997年)まで、アメリカ合衆国に住んでいたため、平成時代前半の約9年間を実体験していません。
体験しなかったことを遡って頭に入れるというメリットがあり、『平成史』は個人的に好都合だった一冊です。
平成5年こと1993年が、日本政治の分水嶺だったことを否定する人はいないでしょう。この年7月の衆院選(宮澤喜一内閣の不信任による、いわゆる嘘つき解散)をうけて、8月に非自民八党派による細川護熙連立内閣が発足、自民党一党支配の別名である55年体制が崩れ落ちました。(pp.74)
うっすら把握していたものの、「嘘つき解散」なる言葉は初耳でした。
サンフランシスコ大学の大学院博士課程に所属し、膨大な課題に追われていて、日本の政情を気がける余裕などなかったのです。
平成7年、つまり1995年10月4日に初回が放送され、97年7月公開の旧劇場版(『Air/まごころを、君に』)での完結まで一大旋風を巻き起こしたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(中略)。(pp.102)
後年「エヴァ」という略称を目にしたことがあるだけ。
1995年には当方は博士論文執筆に取りかかっていました……。
本書は、著者が無数の資料を渉猟されたうえでお書きになられている、真正の労作でした。
おなじテーマで記された他の書物、たとえば「最近読んだ本173」や「最近読んだ本252」、それらも良かったのですが、それらよりもさらに高度な内容です。
ただ、ひとつだけ「画竜点睛を欠いているのでは?」と思うところがありました。
その件を述べるにあたり、以下の整理をおこなっておきます。
一般に、社会科学の領域では、
〇群衆: 空間的に結びついており、集団行動をとる人たち
〇乱衆: 群衆のうち、破壊的な集団行動をとる人たち
〇大衆: 空間的には結びついていないが、テレビ・新聞などをとおし結びついている人たち
〇公衆: 空間的に結びついており、伝統や文化を共有している人たち
こうした学術語の準用がなされています。
そして1985年、博報堂の社員のかたが「分衆」概念を提出なさいました。
〇分衆: 細分化された大衆
という意味です。
当該語を知ったとき、わたしは「さすが大手広告代理店の人、発想が斬新!」と、つくづく舌を巻きました。
典型的な分衆としては、インターネット上でのユーザーたちの結びつき、が挙げられるでしょう。
平成時代、過去に存在していなかったネット分衆(最もちかい日常表現は「ネット民」「ネチズン」など)が誕生したわけで、左記分衆を語らずして平成を語ったことにはならない、と考えます。
著者は91ページや459ページで大衆については触れていらっしゃいましたが、分衆への言及は皆無でした。
書中の各処に出てきた、「フェイクニュース(pp.76)」、「インフルエンサー(pp.230)」、「ネット右翼(pp.253)」、「SNS(pp.382)」、「YouTuberたち(pp.394)」、「ネット有名人(pp.394)」、「デジタル・ネイティヴ世代(pp.494)」、「キャラ萌えゲーム(pp.459)」、どれもが分衆そのもの、もしくは分衆がらみの事項だったのに。
2008年の通り魔大量殺人は、官邸や経団連といった権力者に対する「テロ」としてではなく、電気街からオタクの街に転じて久しいアキバで起こりました。(中略)犯人が2ちゃんねるでは承認を得られなかった(後略)。(pp.329)
引用文とて同様です。
『平成史』が、分衆の登場および蠕動(ぜんどう)をも交えつつ時代を俯瞰していたら、読物としての完成度がいっそう高まったのではないか、と惜しみました。
金原俊輔