最近読んだ本487:『切腹考:鷗外先生とわたし』、伊藤比呂美 著、文春文庫、2022年
上掲書の表題と副題を目にした人は、ふつう、
森鷗外 著『堺事件』(1914年)
を思い浮かべるのではないでしょうか?
わたしは思い浮かべました。
『堺事件』は実話に基づく歴史小説で、多数の武士の切腹が扱われているためヒリヒリした緊迫感の漂う、強く印象にのこる作品です。
けれども『切腹考』は『堺事件』を評した読物ではなく、「切腹愛好家(pp.9)」かつ「鷗外が好き(pp.29)」な著者(1955年生まれ)による、詩的・私的なエッセイでした。
詩的なはずで、著者は詩人。
言葉の選びかたが繊細であり、独特な、滋味あふれる表現が連続します。
それにしても「切腹愛好」という領域があるのですね。
書中、最初の数章は切腹そのものの描写や考察に用いられ、わたしは苦手でした。
こういう文章は勘弁してほしい……。
中盤以降、森鷗外(1862~1922)に関する話題、伊藤氏ご自身の身辺雑記、といった内容に変化します。
わたしが感嘆したのは、氏が、鷗外の小説に出てくる女性たちの背後に特定女性像がある、とお考えになった点。
どこかで、鷗外は、こういう女の原型に会ったような気がしてならない。つまり、それは日本人じゃなかった。エリスでも、エリスのモデルでもない女だった。(中略)
鷗外はその女にロマンティックな恋情を抱いた。忘れがたかった。日本に帰った後も、何回も何回も思い出した。(pp.112)
記すまでもない事項ながら、エリスは、
森鷗外 著『舞姫』(1890年)
の主人公です。
鷗外の書く女たちの中に、いつもひとりの女がいるのに気がついたのがだいぶ前の話だ。同じ女の姿を、ときに日本的に、ときに西洋的に、姿かたちを変え、(中略)また一人また一人と書き表していくのである。(pp.218)
すごい感知力といわざるを得ません。
当方はこれまで鷗外作品をたくさん読んできたのに、どの作中女性にも共通してひとりの実在女性の投影がなされている、などと察することはできませんでした。
『切腹考』の「ばあさんとぢいさん」章にて、そんな女性が本当にいたのか、いたとすればそれは誰なのか、じわじわ解明されてゆきます。
解明への道程が何やらミステリーっぽく、わたしは倦(う)まずページを繰りました。
底流しているテーマが「切腹」および「死」ですので、明るい本でこそないものの、読みごたえは十分あります。
けっきょく『堺事件』は最後まで登場しませんでしたが。
金原俊輔