最近読んだ本585:『大胆推理! ケンミン食のなぜ』、阿古真理 著、亜紀書房、2023年
阿古氏(1968年生まれ)のご職業は、
「生活史研究家」となっているが、肩書は、紀行文やエッセイもたまには書きたい、と「作家」もつけている。(pp.170)
ご企図どおりに「食べものから地域の文化や歴史を考えるエッセイ(pp.5)」である本書を上梓なさいました。
各都道府県の名物やソウルフードを、土地の歴史・食文化と照らし合わせつつ解説していらっしゃいます。
わたしの場合、名古屋市に「喫茶店が多い(pp.84)」こと、「大阪ではミックスジュースが定着している(pp.91)」こと、広島市のお好み焼きが「おいしくないわけがない(pp.130)」こと、「沖縄の豚肉料理はおいしい(pp.160)」ことなどは、有名ですから知っていました。
しかし、北海道に牛乳豆腐があるとか、山形県の料理は独特とか、金沢市の醤油は甘いとか、神戸市の人はハード系パンが好きとかは、どれも初耳。
新知識を得ることができました。
阿古氏は全方位食べ歩きをなさっているのでしょう。
そして、わたしが暮らす長崎市のお菓子を、2章にわたり語ってくださいました。
長崎ご旅行の折、複数のお店にカステラを買いに行かれ、
1624(寛永元)年創業の「元祖」を名乗る福砂屋と、やはり「元祖」を名乗る1681(天和元)年創業の松翁軒、皇室や宮家にも献上する長崎菓寮匠寛堂、それから名前を忘れたが手づくりを掲げる個人店(後略)。(pp.141)
この「個人店」は(わが同級生が経営している和菓子店)岩永梅寿軒ではないでしょうか?
観光客たちがカステラ目当ての行列をつくっている光景を見かけるたび、嬉しく思っています。
つづいて、
長崎市で、気になったのが和菓子店の多さだった。(pp.148)
なぜ長崎は、和菓子屋をもっとアピールしないのか?(中略)長崎の和菓子屋は観光客向けではないから、ガイドブックのつくり手も気づかないのかもしれない。観光客はカステラをどうぞ、市民は和菓子を食べます、ということなのだろうか。(pp.150)
ご指摘を感謝します。
わたしが「ガイドブックのつくり手」に代わって地元の和菓子を「アピール」すると、まずは、桃カステラ。
カステラの上に桃の形の砂糖細工を載せた銘菓です。
つぎに、栗を象(かたど)った栗饅頭は長崎市が元祖といわれており、また、和菓子には含まれないかもしれませんが、長崎ミルクセーキも当地で誕生しました。
文明堂が創作した三笠山(どらやきの一種)、佐世保市生まれの九十九島せんぺい、阿古氏が言及してくださっている「一口香(pp.151)」、こうした良品もあります。
ご来崎の際は、ぜひ……。
さて、ここで、話を激変させます。
長崎の章において、阿古氏は、
何しろ中心部を歩くと、何なら、一区画に一店あるんじゃないか、と思われるほどひんぱんに和菓子店に遭遇したのだ。(pp.148)
と、お書きになりました。
この「何なら」。
新村出 編『広辞苑』第三版、岩波書店(1983年)
によれば、
① 事によったら。都合次第では。
② お望みなら。入用なら。
③ 気に入らねば。わるければ。(新村書、pp.1818)
なる意味です。
阿古氏は「① 事によったら」の意味合いでお使いになっているので問題ありません。
いっぽう、最近の若い人たちには「何なら」を「しかも」「その上」的なニュアンスで用いる傾向があり、本来の語義からは逸脱しているのですが、もはや定着している感じです。
金原俊輔