最近読んだ本331
『やってよかった東京五輪:オリンピック熱1964』、山口文憲編、新潮文庫、2020年。
1964年の「東京オリンピック」にまつわる文章を集めたアンソロジーです。
松本清張(1909~1992)
三島由紀夫(1925~1970)
有吉佐和子(1931~1984)
大江健三郎(1935年生まれ)
錚々(そうそう)たる大家たちの観戦記や随筆が含まれていました。
編者は、1947年のお生まれ。
東京オリンピック前後の熱気を鮮明に覚えていらっしゃり、書中、思いがけないエピソード類も紹介してくださいます。
さて、あの当時、オリンピックを自国で開催することがどれほど日本人にとって誇らしかったか……。
『やってよかった東京五輪』内に記されているスポーツ評論家・玉木正之氏(1952年生まれ)のご体験を見てみましょう。
開会式の日、小学6年生だった玉木氏は、近所の人々多数と1台の小型カラーテレビにかじりついておられました。
入場行進の際にNHKアナウンサーが発した「健気」という言葉の意味が分らず、
私は椅子に座ったまま振り向き、子供たちの背後を取り囲むように立っていた大人たちのなかにいた父親に向かって、「ケナゲって、どういう意味?」と訊いたのをいまも憶えている。そのとき目に飛び込んだ光景は、かなりショッキングなものだった。大人たちは誰もが涙を流していた。顔は笑っていたが、誰もが溢れる涙を手の甲で、あるいはハンカチや日本手ぬぐいで拭(ぬぐ)っていた。(中略)
私の父親は帝国陸軍軍曹として日中戦争に3度応召され、顔面と肩と足に3箇所の銃創(じゅうそう)を負った。そんな戦争が終わってから、まだ19年しか経(た)っていないというのに、色とりどりの鮮やかなユニフォームに身を包んだひとびとが世界中から集まり、晴れがましく歩く姿をカラーテレビで見たのである。(pp.264)
感慨胸に迫る一節です。
国中が震えるほどにときめいた15日間でした。
わたしは小学3年生。
父には軍隊経験がありましたし、母は原爆被爆者です。
両親が開会式にどう反応していたかは印象に残っていないのですが、開会式を家族そろって観たこと、日本代表団の行進に歓喜したこと、そして自宅のテレビがカラーでなかったこと、以上は確かです。
各種競技が始まるや、力を振り絞りつつスポーツマンシップを発揮する日本選手・外国選手たちの魂の美しさに興奮しました。
柴田錬三郎(1917~1978)は重量挙げの三宅選手を応援したそうです。
私は、三宅選手が、バーベルの棒をつかんだせつな、顔をあげて、宙の高いところへ視線をはなつのを、眺めて、彼がおのずから会得(えとく)した無心の一瞬に感服した。(中略)
その瞬間に、三宅選手の精神力は「無」の一点に集中されたのである。(pp.144)。
まさに剣豪小説家らしい感想でした。
柔道会場へ赴いた瀬戸内晴美氏(1922年生まれ)は、ヘーシンク選手の優勝(すなわち日本の神永選手の敗北)を目撃されています。
場内にどっとため息と、嘆声がもれた。
喜びのあまり、かけ上がろうとするオランダ選手をヘーシンクが悠々と片手で鋭く制し、神永を援(たす)けおこした。(pp.170)
有名なシーンといえるでしょう。
当方はリアルタイムでは観ていないものの、書物を通してこの素晴らしい場面を知りました。
閉会式では、
聖火が消え、スタジアムの巨大なディスプレイに、いや、その頃は単なる大型の電光掲示板だったのだが、そこに「SAYONARA」の文字が浮かんだ。(pp.295)
記憶にありません。
ただ、次回開催地に敬意を表し「メキシコで会いましょう」的な英語が表示された光景は、目に焼き付いています。
本書を読むと、やはり、第2回目の「東京オリンピック・パラリンピック」が気になりだしました(新型コロナ・ウイルス感染症拡大のせいで、本当に開かれるのかどうか疑わしくなっていますが)。
日本が獲得する金メダルの数などよりも、最初から最後まで無事に進むことを祈るばかりです。
金原俊輔