最近読んだ本537:『戦時下のノーサイド:大学ラグビー部員たちの生と死』、早坂隆 著、さくら舎、2022年

戦時下において(中略)若きラガーマンたちは何を考え、いかなる人生を歩んでいったのか。そして、ラグビーに別れを告げて戦地に赴き、命を散らした若者たちの生涯とは何であったのか。(pp.5)

大学ラグビーで活躍した選手たちが日中戦争および太平洋戦争に兵士として参戦したのち、艱難辛苦を味わったり落命したりしていった実話を、著者(1973年生まれ)が掘り起こし、現代のわれわれに紹介してくださいました。

ある人物が取りあげられ、けれども彼は戦死、つづいて別の人物が語られ、彼もまた死去する、こうした辛い展開の作品。

1930年(昭和5年)に日本代表がカナダ遠征をおこない現地チームと相まみえた際のフェアプレーの応酬、ラグビーで築いた他大学生との友情が戦争中の助け合いに結実、等々の、感動を促される話も随所で綴(つづ)られています。

さて、1943年(昭和18年)10月、「『在学徴集延期臨時特例』が公布され(pp.237)」、いわゆる「学徒出陣」が始まりました。

とうぜん大学ラグビー部員たちも出陣することになり、出陣は死を意味します。

彼らは今生の思い出に、

10月16日、学徒出陣の対象となった各校の部員たちが明治神宮外苑競技場に集まり、最後の試合が実施されることになったのである。(pp.239)

各大学から約100名が集いました。

けれども、やがて一同「ノーサイド(試合終了)」の笛の音を聞き、笛の音は遠からぬ入営を意味していた……、この史実が本書タイトル『戦時下のノーサイド』につながっています。

試合後に選手たちが見せた純朴で悲痛な振る舞いも付記され、涙を禁じ得ません。

戦争は個々人に暴力的影響をおよぼす最悪の事態で、それは当時の人すべてに対してそうだったわけですが、ラグビー選手を軸にエピソードが述べられると、わたしのようなラグビー経験者は強く身につまされます。

わたしを含め戦争体験がない者は、こんな種類の書物を読むことで戦争の無残さを知っておかなければならないと、切に感じました。

いかなる戦争も極力回避、平和を維持するためのあらゆる努力・工夫・準備が緊要、『戦時下~』を通しつくづく思わされます。

自らの命を懸け祖国を守ろうとしてくださった先人たちへの深い感謝も湧き、有意義な歴史ノンフィクションに接することができました。

以下、凄愴な逸話を引用させていただいて、コラムを終了します。

早稲田大学ラグビー部で大車輪の働きをしたばかりか監督としても同部を率いた大西栄造氏は「陸軍に応召(pp.283)」、「激戦続くフィリピン(pp.284)」に派遣されました。

そのころフィリピンでは、

各地の陸戦において、圧倒的な威力を発揮したのが米軍の戦車であった。(pp.284)

装甲が分厚く、日本軍の対戦車砲では太刀打ちできなかったからです。

ついに日本軍は「肉薄攻撃」を開始しました。

肉薄攻撃。

5キロから10キロほどの爆薬を使用した急造の爆雷を兵士が持ち、戦車に近接して車体の底面に投げ込むという作戦である。生還はほぼ不可能という事実上の「特攻」であった。(pp.284)

という絶望的な手段です。

1945年(昭和20年)7月7日、大西氏は、

ラグビーシューズを履き、さらには早大のジャージを腰に巻いて、一命を投げ出した。突進してくる敵の戦車に爆雷もろとも突撃し、敢然と散ったとされる。
彼の生涯における最期のタックルであった。(pp.284)

金原俊輔