最近読んだ本474:『フェイクニュースを科学する』、笹原和俊 著、DOJIN文庫、2021年
笹原氏(1976年生まれ)は、東京工業大学の准教授を務めておられ、計算社会科学がご専門です。
潤沢な学識を駆使されつつ、本書において「フェイクニュース」を考察なさいました。
考察にあたり、フェイクニュースとは、
ニュース報道の体裁で拡散される、虚偽の、しばしば扇情的な内容の情報(pp.15)
であると、イギリス『コリンズ辞書』の定義に基づいていらっしゃいます。
さて、わたしが日本近代史のなかで思い浮かべるフェイクニュースは、まずは、1982年の朝日新聞「慰安婦強制連行報道」です。
朝日新聞といえば、1989年には「珊瑚記事捏造事件」を起こしました。
第二次世界大戦時の「大本営発表」もフェイクニュースと位置づけられるべきものでしょう。
著者は、
フェイクニュースの歴史を振り返るうえで最も重要な出来事は、2016年の米大統領選挙です。(中略)
根も葉もない嘘やデマ、政治的なプロパガンダがソーシャルメディアを通じて大量に拡散し、米国社会は大きく混乱しました。(pp.25)
われわれの記憶に新しいアメリカ合衆国の騒動からお話を始められました。
同国は、イエロー・ジャーナリズムの独自語があるくらい、もともとフェイクニュース温床の地だったのです。
第3章「見たいものしか見えない情報環境」に入るや専門性が高まり、読みすすむのが大儀でしたが、インターネットを中心にフェイクニュースが横行する現代社会、『フェイクニュースを科学する』は時宜にかなった一冊でした。
メディア発の情報を吟味する能力は「メディアリテラシー」と呼ばれ、著者によると「メディアリテラシーが高い人ほど偽ニュースに騙されにくい(pp.143)」。
関連するアメリカの研究を紹介なさったのち、その方面の教育が必須である旨を説かれました。
これらの研究結果は、メディアリテラシーが偽ニュースに対する耐性をつけることや、小さい頃からメディアリテラシー教育が必要なことを示唆しています。(pp.144)
メディアリテラシー教育でうまく対応できれば良いのですが。
わたしは教育効果に期待薄で、理由は、人はどれほど教育を受けようとフェイクニュースが具備しているインパクトに引きずりこまれ結局だまされてしまうのではないか、と想像するからです。
教育の進行に相前後してフェイクニュースのだましのテクニックも発達してゆく気が……。
それにつけても、本書を読了したとはいえ、メディアリテラシーが低いため、自分が知っている事柄の何が正しいニュースで何がフェイクニュースなのか、わたしには判断できません。
仮に正しさを判断したつもりになっても、それすら怪しい。
『藪の中』、芥川龍之介 著、1922年
にて、人が信じる正しさは当人が置かれた状況に左右される機微が描かれていたことを、改めて想起せざるを得ませんでした。
金原俊輔