最近読んだマンガ25:『パリピ孔明 9』、四葉タト 原作、小川亮 画、講談社、2022年
諸葛亮(181~234)。
孔明という字(あざな)のほうで知られています。
上掲書は、彼が五丈原で没したあと現代日本に転生、そんな筋立てのマンガでした。
渋谷で知遇を得た若い女性シンガー月見英子の軍師となって、孔明は彼女のメジャー・デビューの手助けに乗りだします。
英子や周囲の仲間たち、孔明のことを本物と気づかず、それでも彼の智謀に感銘を受け、次第に彼への信頼が確固たるものとなってゆきます。
本巻の終わりごろでは、諸般の事情で主人公が新宿のホストクラブに「体験入店(pp.133)」し、「コウメイ」なる源氏名にて勤務を始めました。
破天荒な進展ながら、話の中に織り込まれている史実および孔明語録は正確な、決していい加減ではない作品でした。
音楽業界の描写も真に迫ります。
評判だと聞いて、わたしは『パリピ孔明』第1巻を入手し、以来、第9巻まで購入継続。
でも、実は、たいして楽しんでいません。
これは本書自体の落ち度ではなく、当方に2点の個人的理由があるせいです。
まず、1点目を説明します。
わたしは『三国志』『三国志演義』を好きではないのです。
幼かったころ、子ども用の、
羅漢中 著『三国志演義』
施耐庵 著『水滸伝』
を読み、後者に熱中しました。
大人になったのちも複数の異なるバージョンで『水滸伝』を味わい(勢いが止まらず、蒲松齢 著『聊斎志異』にすら目をとおしました)、だのに『三国志』は敬遠しっぱなし。
なぜ『三国志』を好まないのか分らないものの、いずれにせよ、そんなわたしが孔明マンガに興じるはずは……。
『パリピ孔明』において「私…姓を諸葛、名を亮、字を孔明と申します!(pp.2)」という自己紹介がたびたび登場しますが、子ども時代に接した『三国志演義』『水滸伝』でも同様のシーンがしょっちゅうあり、「あざなって何? あだな?」と頭をひねった件を顧(かえり)みました。
2点目です。
最近のマンガには「転生もの」が珍しくなく、それぞれ工夫を凝らした内容とはいえ、わたしとしては飽きが来てしまいました。
「もうこのジャンルとはお別れしよう」と考えています。
では、どうして転生ものが増えているかというと、転生ものは常識外れのストーリー展開が可能で、おもしろさとて倍加する、おそらくそんな利があるからでしょう。
ただし、転生ものに頼りすぎてしまえば、マンガ家たちの刻苦して起承転結を練りあげる力が向上しないのではないでしょうか。
〇紫式部が転生、高校で古典を担当しつつも現代日本語は不得手なので授業を上手くおこなえない、救いの手を差し伸べてきたのは同じ転生組の小泉八雲だった……、不運な生徒たちの模試成績はどうなる?
〇クレオパトラが日本へ転生し、生きるためファッション・モデルとなって人気を博しだしたいっぽう、どうしても勝てない美貌のライバルがいた、その名は小野小町
〇戦国時代の川中島に転生してしまったナポレオン・ボナパルト、武田勢と上杉勢のどちらを支援すべきか悩む
〇赤穂浪士がいよいよ討ち入りを開始したところ、なぜか建物は吉良邸ではなく新選組の屯所だった、とりあえず闘う両者
〇ライト兄弟がゼロ戦の製作現場へ迷い込み、出会ったエンジニアらに飛行機の平和利用を主張、帝国海軍の反応は?
このようにどれほど荒唐無稽な物語でも簡単に作りだせてしまうのです。
わたしは初めて転生ものを発案したかたは偉いと思います。
思う半面、当該ジャンル隆盛の結果、わが国のマンガやアニメが劣化してゆかなければ良いのだがと、杞憂でしょうけれども、心配しております。
金原俊輔