最近読んだマンガ26:『決定版 ゲゲゲの鬼太郎 1:妖怪大戦争・大海獣』、水木しげる 作画、中公文庫、2023年
上掲書は、水木しげる(1922~2015)の鬼太郎譚を集めた、アンソロジーです。
計13作が入っていました。
うち、すべての作品のタイトルで「墓場の鬼太郎」が用いられており、のちに知られるようになった「ゲゲゲの鬼太郎」の語は使用されていません。
それくらい昔のマンガ。
収録作品中もっとも古い『手(pp.6)』にいたっては、発表が1965年(昭和40年)だったそうです。
古いため、この『決定版 ゲゲゲの鬼太郎』を読んでいる途次、昭和時代の記憶が蘇(よみがえ)ってきて、わたしはしんみりしました。
なぜ昭和の記憶が蘇るのか?
たとえば『大海獣(pp.221)』には「少年天才科学者といわれている山田秀一(pp.222)」が登場してくるのですが、あのころの各種マンガ、しばしば少年科学者だの少年探偵だのが出てきていたのです。
少年プロレスラーすらいました。
馬鹿な子どもだったわたしは当時なんの疑問も抱かず、しかし、いまになって考えてみると無茶苦茶です。
だけれど懐かしい……。
上記の山田君は、物語の終盤、
ぼく、わるい心の少年でした(pp.327)
かく反省しました。
このように、登場人物があらすじを棒読みしているかのごとき言葉づかいをするのは、昭和期の特徴というより水木しげる作品の特徴でしょう。
『妖怪城(pp.345)』での、ねずみ男の、
これをおどろかずして、なにをおどろこう(pp.383)
なるセリフも同様。
妙味があって、わたしは好きです。
水木の諸作においては話のまとまりがつかなくなってしまう展開がめずらしくないものの、本アンソロジーの作品にはそうした瑕疵(かし)が見当たらず、だからこそアンソロジーに選ばれたのかもしれません。
じゅうぶん楽しめました。
彼が描いたマンガは、われわれ年配読者を(懐メロを聴いたときみたいに)ノスタルジーに浸らせ、ストレスをやわらげてくれる効能を有している、と感じます。
金原俊輔