最近読んだ本601:『戦国秘史秘伝:天下人、海賊、忍者と一揆の時代』、藤田達生 著、小学館新書、2023年

史学者で三重大学副学長の藤田氏(1958年生まれ)が、これまで種々の媒体に寄稿された歴史随筆・歴史小論類を集めた、アンソロジーです。

この本、テーマに整合性がなかったとまでは言わないものの、各部各章のつながりが弱く、あれを書きこれを書いた文章が一冊の中に無造作に詰め込まれている、という感じでした。

だからでしょう、任意のページを読みだしても速やかに中身へ入り込むことができます。

つまり、読者が忙しいとか、公共交通機関を比較的短時間利用しているとか、の状況で開くのがうってつけ。

わたしはそういう味わいかたをしつつ最終ページに至りました。

なつかしく、嬉しかったのは、

安房(あわ)といえば、里見氏である。里見氏といえば、滝沢馬琴の長編作『南総里見八犬伝』であるが、これは私たちシニア世代にとっては、今は亡き坂本九ちゃんの語りで楽しんだNHKの人形劇『新八犬伝』(1973~75年)でおなじみである。(pp.204)

小学生だったころ親から子ども用『南総里見八犬伝』を買ってもらい、『水滸伝』に比べたらおもしろくないな、犬の八房は原作者による「安房(あわ) → やすふさ → やつふさ」というダジャレ的な命名なのかな、などと愚考しました。

中学校時代、

芥川龍之介 著『戯作三昧』(1917年)

に接し、「これは本物の『南総里見八犬伝』を読んでおかなければ」と思ったのですが、思っただけで終了しました。

高校生だったときにテレビで『新八犬伝』が始まり、「おう、あの八犬伝が……」と喜び、視聴してみるとおもしろく、とりわけテーマ音楽が好きになって、いまだに好きです。

藤田氏のご説明では、『南総里見八犬伝』に登場する武将・里見義実(1412~1488)は「安房里見氏の初代(pp.206)」で、

当時の安房には、安西、正木、神余、丸、東条などの海賊衆が盤踞(ばんきょ)したが、義実は彼らを巧みに組織し、稲村城(千葉県館山市)を拠点に安房を支配した。(pp.206)

義実が「実在したかどうか疑問視(pp.207)」されてもいる由でした。

つぎに、第二部第四章「政宗の視圏(取材地:牡鹿半島)」。

わたしはどんな本で伊達政宗(1567~1636)の話を読んでも、運悪く天下を取りそこね、豊臣秀吉(1537~1598)あるいは徳川家康(1543~1616)に仕えざるを得なかった当人の苦々しい胸中をおもんぱかってきました。

ただ、今回は、別件で彼を偲びました。

慶長16年10月28日に発生した慶長大地震(後略)。
東日本大震災にも匹敵する規模の地震(推定マグニチュード8)に見舞われ、約50万人といわれる仙台藩領の人口にもかかわらず、「御領内において1783人溺死し、牛馬85匹溺死す」(『貞山公治家記録』)という大被害を記録している。(pp.217)

政宗の藩が大きな地震に見舞われたのです。

平成期であっても国力が傾くほどの東日本大震災だったわけですから、往時、同レベルの地震による仙台藩の被害の深刻さや領民救済・領地再建の大変さはいかばかりだったろう、と気に懸かりました。

そして政宗の指示のもと造り始められ、1884年(明治17年)に全長が完成した宮城県「貞山運河(pp.227)」は、東日本大震災の際、

大津波の遡上を遅延させ、津波の戻り流れをも集約したことで、一定の減災効果があった(後略)。(pp.229)

とのことです。

これこそ「政宗の遺徳(pp.227)」でしょう。

過去が現代に影響をおよぼしている事実を再認識させられます。

他の話題としては、第一部第一章「桶狭間の戦い:知多半島の争奪戦」、第二部第五章「キリシタンの波動(取材地:西彼杵・島原半島)」に、興味をそそられました。

金原俊輔