最近読んだ本641:『夏目家のそれから』、半藤末利子 著、PHP、2024年
半藤氏(1935年生まれ)は、夏目漱石(1867~1916)のお孫さんです。
お孫さんとはいっても、漱石没後にお生まれになったため、文豪と直に接したご経験をおもちではありません。
上掲書は、半藤氏が親ごさんや親戚のかたがたを通して入手した漱石にまつわるエピソード、漱石の家族のエピソード類を、記したもの。
漱石ファンのわたしにとって興味が尽きない内容でした。
夏目家に家風呂がとりつけられたのはかなりあと、母が小学校も高学年になってからのことである。(中略)
家中が期待して見守る中、漱石は悠々と湯殿に向った。ところが「お湯加減は?」と聞きに行く暇もあらばこそ、ものの1分も経たぬうちに、
「ひゃー! 冷たい!」
と血相を変えて漱石は座敷に駆け戻ってきた。誰もお湯を下からかきまわさねばならぬことを知らなかったのだ。
一時は大あわてをしたが、「冷たい、冷たい」と素裸のまま震えながら飛び跳ねている漱石を見て、皆で大笑いをした。さすがの漱石も苦笑していたそうである。(pp.145)
漱石には精神疾患(*)があり、そのせいで暴力的となって、妻子(とりわけ妻の鏡子)が辛酸をなめた事実はいろいろな書籍で言及されており、本書でも書かれていただけに、こうした(長谷川町子 作画『サザエさん』にでも出てくるような)微笑ましい逸話を読み、ホッとするものがあります。
しかるに、寺田寅彦(1878~1935)。
漱石他界の7年後、亡夫を慕っていた弟子たちに集まってもらい、鏡子が、遺宅を譲るので財団法人のような組織にして末永く保存してほしい、「その場合、新居を建てる費用や、新しい土地代金に見合うものぐらいはご援助いただきたい(pp.23)」旨を、相談しました。
すると、
寅彦が真先に口火を切り、(中略)先生は一生安家賃の借家住まいに甘んじていたのに、遺族は高級住宅か、と不平混じりに昔話を語り始め、肝腎要の返答をわざと避けて通っている風である。門下の親分格でもある寅彦がこの有様であるから、小宮、安倍、森田などのお歴々も右へならえで、門下の中の誰一人として山房の永久保存を積極的に推進しようとする者はいなかった。(pp.24)
夏目漱石 著『吾輩は猫である』主要キャラクターのひとり水島寒月、同じく『三四郎』に登場する野々宮宗八は、どちらも寺田寅彦がモデルだったと言われています。
それほどまで漱石に重きを置かれていた人物による、この発言。
鏡子の提案に賛同しないのは仕方ないとして、口調がきつすぎると感じました。
わたしは過去、寺田寅彦が執筆した随筆をいくつか読み、なんとなく彼は穏やかで温かい学匠と信じ込んでいたのですが、かならずしもそうではなかったみたいです。
『夏目家のそれから』では、漱石の周辺にいた他の関係者らの話題も述べられていて、みなさん有名人となっただけに好奇心が募り、また、面々を見る当方の目が変わりました。
(*)漱石が患っていた精神疾患は、本書(のみならず幾多の評伝)で「神経症(pp.121)」「神経衰弱(pp.133)」と想定されています。しかし、妄想や幻覚が伴っていたことなどから、精神病だったのではないか、と思われます。
金原俊輔