最近読んだ本724:『昭和20年8月15日:文化人たちは玉音放送をどう聞いたか』、中川右介 著、NHK出版新書、2025年
昭和20年(1945年)8月15日は、言うまでもなく、わが国が太平洋戦争に敗れた日です。
当日の正午、ラジオで玉音(ぎょくおん)放送が流れました。
玉音放送とは「昭和天皇による『詔書』の(中略)放送(P. 27)」のこと。
同放送によって国民は日本の敗北を知りました。
このとき、のちに名を成した文化人たちはどこにいて、どんな状況下で放送を聞いたのか、放送をどう受け止め、どう反応したのか、それらを詳細に調べ上げたものが本書です。
特定の1日に焦点をしぼった個人史の集大成でした。
書中、出てくる顔ぶれが実に煌(きら)びやか。
たとえば、三島由紀夫、司馬遼太郎、川端康成、菊池寛、黒澤明、原節子、三船敏郎、山口淑子、杉村春子、小澤征爾、芥川也寸志、深作欣二、高倉健、美空ひばり、手塚治虫、ちばてつや、水木しげる、大江健三郎、星新一、黒柳徹子、十一代目市川團十郎、六代目中村歌右衛門……。
日本文化を牽引した偉材だらけです。
上記のほかにも多数の著名人が登場しており、わたしは書店で本書の目次を眺めた際、豪華な名前の羅列に目を奪われました。
ただちに購入。
ふたつ選んで内容をご紹介すると、まず、映画監督の「今井正(33歳)(P. 107)」は、
放送が始まると、最敬礼しなければならず、今井も従った。ラジオはひどい雑音がして、何を言っているのか聞き取れなかったが、戦争に負けたことは分かった。(中略)
隣にいたのは現像場の女子社員で、汗ではなく、大粒の涙だった。(P. 107)
つづいて「映画女優・岡田茉莉子(12歳)(P. 275)」。
天皇が語る言葉の、その意味は分からなかったが、頭をたれて聴き入る叔父夫婦、そしてまわりの人たちの様子で、なにか重大なことが起こったことだけは理解できた。(P. 276)
厳粛な気もちになります。
けれども、読み進みながら、わたしはだんだん疲れてきました。
著者(1960年生まれ)ご自身は、
これはループものだと思った。同じ日の同じ出来事が何度も繰り返されるループものは、起きるたびに違いが出てくるところに面白さがある。(P. 339)
こうお考えになっており、たしかにそんな「面白さが」漂う面もありはしました。
ただ、こちらには「どのページを開いても話が大同小異」と感じられ、倦んでしまったのです。
著者が悪いわけではありません。
おそらく当方におけるループ作品への耐性閾値(たいせい・いきち)が低いのでしょう。
ループが主題だったアメリカ映画、
『恋はデジャ・ブ』、ハロルド・ライミス 監督、コロンビアピクチャーズ、1993年
も、さして楽しみませんでしたし。
いっぽう、『昭和20年8月15日』書には、わたしが知らなかったとても重要な情報が記されていました。
「8月15日の光景」として、玉音放送を聞いた人々が皇居前広場で土下座している写真が流布していた。翌日の新聞に載ったとされていたものだ。(中略)
現在では、皇居前広場で泣いている人の写真は、前日に撮られたヤラセだったことが判明している。(P. 326)
泣き崩れているあの人々は演技をしていた?
一般庶民ではなく政府の意を受けた役者たちだった?
インターネットで確認してみたところ、かならずしも完全に「ヤラセだったことが判明している」状況ではないみたいで、断定はできないようですが、わたしはヤラセ疑惑があること自体を知らなかったのです。
かくも大事な事柄を教えていただいただけでも本書に接した甲斐がありました。
金原俊輔

