『変節と愛国:外交官・牛場信彦の生涯』、浅海保著、文春新書、2017年。

高校時代だったと思いますが、とにかくずいぶん以前に、わたしは『わだつみのこえ消えることなく:回天特攻隊員の手記』、和田稔著、筑摩書房(1967年)を読みました。

時代の波に呑まれて特攻隊員となった著者が20歳代前半の若さで戦死した事実に胸を打たれ、同時に、もの静かな学徒が軍隊で頭角をあらわしてゆく姿に東京大学生の根っからのエリートぶりを感じさせられました。

今回『変節と愛国』を読んでいた際に、その本のことを想起しました。

さて、牛場信彦(1909~1984)は東大法学部を卒業した秀才で、大学ボート部で鍛えた頑強な肉体も有していました。

外務省に勤め、第2次世界大戦前はドイツを支持して「日独伊三国同盟」の締結を推進、敗戦後は「親米派」に転じた人物です。

戦前の牛場の動きは外交の表舞台へ二度と浮きあがれないほどの瑕疵(かし)だったわけですが、彼はしっかり浮きあがって活躍しました。

駐米大使さらには国務大臣にまで登りつめました。

すごいエリートぶりを感じます。

上掲書では、そうした牛場の力量・努力・引け目などが手際よくまとめられていました。

牛場には戦後、外務省に復帰する前後あたりから、吉田茂をはじめ権力者たちの視線をうかがう、という雰囲気がなかったわけではない。かつて平泉渉が感じた「いやらしさ」も、その線上にあった可能性がある。Yパージで一旦は放り出された外務省への復帰を果たした身であれば、なんとしても功を挙げ、あわよくば「汚名」をそそぎたいとの「野心」に満ちた牛場の姿、と言えなくもない。(pp.247)

本人において「汚名をそそぐ」ことが全エネルギーの源だったろうと容易に想像できます。

けっきょく見事に汚名をそそぎました。

とはいえ、周囲には現役続行を潔しとせず三国同盟派だった責任をとり引退した人たちもいたわけですから、わたしは彼が日本に必要な存在であったと心から認める反面、身の処しかたにいくばくか疑問をおぼえます。

戦後、イギリスを訪問し、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学のラグビーの試合を観戦した牛場は、

帰国後、雑誌にこう寄稿している。「このゲームを通じて痛切に感じられたのは、イギリス人の気魄というものである。あの洗練された紳士のイギリス人の中に、これ丈け猛烈な闘志が脈搏って居るのには、驚嘆の念さえ禁じ得ない。(中略)我々が国際交渉において屡々遭遇する、理不尽と迄思われる様なイギリス人の頑張りも、このラグビーのゲームに現れたところと変りはない」(pp.117)

これはラグビーを見た人のごくごく平凡な感想にすぎないでしょう。

しかも、ラグビーという競技はたとえ無名の高校同士の試合であっても闘志のぶつかり合いであり、そこからイギリス人の外交姿勢にまで話を広げるのは牽強付会(けんきょうふかい)でした。

牛場にはそんなところがあったのかもしれません。

いずれにしても本書は「泣きどころを抱えつつ人生をどう生きぬいてゆくか」を考えるうえで、大いに参考となる佳編だと思います。

金原俊輔